アンドレア・グリミネッリさんインタビュー
笛と歌 2人の師に捧ぐ
掲載日:2010年9月3日
ルチアーノ・パヴァロッティ(左)、ジャン=ピエール・ランパル(右)と
9月28日(火)夜、ザ・フェニックスホールに登場するフルーティスト、アンドレア・グリミネッリはイタリア出身の実力派。同国出身で「世紀のテノール」として知られたルチアーノ・パヴァロッティに若くして見いだされて各地で共演を重ね、世界的演奏家へのキャリアを築いた。もともと「歌の国」で育っただけに、演奏には生来の歌心が溢れている。一方で、フランスのランパルら名フルーティストから受け継いだ、堅固なテクニックと繊細優美な演奏も持ち味。2人の師はいずれも世を去って久しいが、彼らの音楽性は今も脈々とグリミネッリの音色に受け継がれている。「今回の舞台は、師へのオマージュ」。グリミネッリのメッセージの行間から、熱い思いがほとばしる。
(構成:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)
―あなたに影響を与えた音楽家3人についてお尋ねします。まず、師のランパル(※)はどんな人でしたか? フルーティストとして彼が、ずば抜けていたのは、なぜでしょうか。
カリスマ性に富んだ「父」
アンドレア・グリミネッリ(AG) ジャン=ピエール・ランパル先生は、個人的には私にとって単に師にとどまらず、公私にかかわる父親的存在だったとさえ言えると思います。しかし、世界中のすべてのフルーティストにとっても、今なお「父」であり続けているのではないでしょうか。非常にカリスマに富んだ人物であり、音楽家でした。世界で初めて、フルートのソリストとして活躍したのは彼です。私は、英国デッカ社から、彼と共にデビューCDを出しました。私がヴィヴァルディとメルカダンテの協奏曲を吹き、先生がイギリス室内管弦楽団を指揮してくれたのです。コルシカ島の先生宅で過ごした夏の休暇は素晴らしい思い出です。フルートを吹き、彼のレコードを一緒に聴いて過ごしました。
―もう一人の偉大な師、ジェームズ・ゴールウェイ(※)について語ってください。
AG 彼こそは、当代最高のフルーティスト。フレーズつくりや音は、とても独創的ですよね。だからかもしれませんが、彼の指導を受けていた折、私が、私なりのフルート演奏を展開させていこうと試みた時は、いつもそれを評価し、応援してくれました。ともかく褒め上手なんです。その後も、交流は続いていて、年を追うごとにゴールウェイは兄のように、また奥さんのジニーは姉のような存在になってきました。よく顔を合わせて音楽について話していますが、ゴールウェイの話にはいつも、何かしら勉強になることがあるんです。
―“世紀のテノール”、パヴロッティ(※)からは何を学びましたか。舞台の上での彼と、日常の彼、音楽家として、また一人の人間として、どんな人物だったのでしょう。
世界を見せてくれた「星」
AG 無論、私にとっても世界最高のテノールです。考えてみてください、パリで音楽院を終えたばかりの若いフルーティストが、世界中のテレビ局が注目するような、あるいは国際的に最も格式ある劇場での公演といったようなスターシステムの中に、いきなり放り込まれたんです。名誉だったのはもちろんですし、大きな飛躍のチャンスでもありました。舞台の上、力強く、輝かしいあの声色で彼が歌う。それは、すさまじいまでの「自然の力」を感じさせるものでした。でも舞台が終わると彼は、独りでは居られない、とても気前の良い男でした。チェスをしたり、食事をしたり、あちこちの町や土地を訪れて共演し、長い時間を共に過ごしました。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートに一度、ランパル先生を招待し、その後でパヴァロッティを引き合わせたことがあるんです。ランパル先生は、お気に入りのレストランに私たちを連れて行ってくれたんですが、健啖家で知られた2人のこと。文字通りの「牛飲馬食」で、平らげたお皿の枚数といったら・・・!
―ピアノや、ヴァイオリン、トランペットやオーボエでなく、なぜフルートを自分の楽器として選んだのですか。
AG 恐らく、初めてもらったレコードが影響していると思います。11歳の時、音楽教師がプレゼントしてくれたのが、セヴェリーノ・ガッツェローニ(※)が吹いたヴィヴァルディのフルート協奏曲集。彼の年代で恐らく、最も有名なイタリアのフルーティストです。すっかりフルートの音色に魅せられてしまった。この楽器の音色は人の声にとても似ています。世界最高の楽器の一つだと思います。
―ザ・フェニックスホール公演のプログラムは、フランスやイタリアの作品で組まれています。隠されたテーマがあるのでしょうか。
2人の師繋ぐプログラム
AG 実はこのプログラム、ランパル先生とパヴァロッティへのオマージュ(感謝)の意味合いを込めているんです。プーランクの「フルートソナタ」は元々、作曲者から先生に献呈された作品。また、ボルン編曲の「カルメン幻想曲」は、ビゼー作曲の有名な歌劇「カルメン」の中の有名な旋律を基盤にしています。ですからオペラ歌手のパヴァロッティと、ランパル先生をも繋ぐ作品でもあるのです。先生はこの歌劇がとても好きで、若い時代にパリの歌劇場のオーケストラで首席奏者だった頃、何度も演奏したことがあったそうです。オペラとフルートの繋がりはポップ作曲のリゴレットの主題による幻想曲」にも、よりハッキリと当て嵌まることです。今回、モルラッキ作の「ロッシーニの“エジプトのモーゼ”による幻想曲」を演奏しますが、この曲は大阪での、あるいは日本での初演になると思います。まだ、楽譜が出版されていないのです。最後の曲は、本当の傑作。セザール・フランクのソナタ。原曲は、「ヴァイオリンとのピアノのためのソナタ」で、実はこれはランパル先生がフルートとピアノのために編曲したもの。初演と初録音も彼が行ったという師匠ゆかりの作品です。
協力:ヒラサ・オフィス
■注
※ジャン=ピエール・ランパル 1922‐2000 仏マルセイユ生まれ。父は、同地の音楽院のフルート科教授。いったんは医学を志すが、パリ音楽院でマルセル・モイーズに師事し、短期で卒業。パリ・オペラ座などの奏者を経てソリストとなり、世界各地で活躍。バロックから現代に至る幅広いレパートリを誇り、融通無碍の技巧と柔らかな音色、機知に富んだ演奏で親しまれた。パリ音楽院で教鞭を執り、日本の工藤重典をはじめ多くの名手を輩出した。
※ジェームズ・ゴールウェイ 1939‐ アイルランドのベルファスト生まれ。苦学の末ロンドンの王立音楽院で学び、パリ音楽院ではモイーズ門下のガストン・クリュネルに師事。ロンドン響などを経てカラヤン率いるベルリンフィルの首席に就任、その後ソリストに転じ、今なお精力的な演奏活動を続けている。ランパルに勝るとも劣らないテクニックと輝かしい独特の音色が特徴。自国の民謡も好んで演奏し、聴衆を楽しませるエンターテイナーでもある。
※ルチアーノ・パヴァロッティ 1935‐2007 伊モデナ生まれ。61年、レッジョ・エミリアのコンクールで優勝してキャリアをスタートし、4年後にはミラノ・スカラ座にデビュー。アメリカでも活動を広げ、世界中の歌劇場に登場し、得意とした高音にちなみ「キング・オブ・ハイC」と呼ばれ、親しまれた。1990年代から「アリーナコンサート」と呼ばれる野外の大施設での公演に出演、時には10万人を超える聴衆を動員するなど、オペラを大衆に広げた。
※セヴェリーノ・ガッツェローニ 1919‐1992 ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学んだ後、イタリア放送響の首席を務め、その後ソリストに。バッハやヴィヴァルティといったバロックの作曲家作品で高評を得る一方、マデルナやベリオ、メシアンといった現代作曲家の作品でも規範的演奏を残し、ヴァイオリンのアッカルド、ピアノのカニーノら共々、イタリアの名手として知られた。超絶的と評される高度な技巧と、懐の深い表現力が持ち味。
- 9月28日(火)午後7時開演 「アンドレア・グリミネッリ フルートリサイタル」公演詳細はこちら♪