林田明子さんインタビュー
11月、リサイタルに登場 京都出身、ウィーン在住のソプラノ歌手 林田明子さん
掲載日:2009年7月11日
(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)
歌曲とオペラと 2つの私
――ウィーン在住は、何年になりますか。
1995年に留学して以来ですので、丸14年です。住まいは、ウィーン市西部の12区。観光地シェーンブルン宮殿(※1)のすぐ東、閑静な住宅地です。ウィーンは地下鉄が発達していて、10分ほどで中心街の国立歌劇場にも通えます。京都で生まれ育った私には、さまざまな国から来た人々が暮らすウィーンは、多様な文化を身をもって学ぶには最高の場です。言葉一つとっても、ドイツ語、チェコ語、英語、フランス語やイタリア語などを話す人が、すぐそばに居て、単語に込められた深い意味、微妙なニュアンスも学ぶことができます。
――そんな環境が、今回のプログラムにも自然に反映されているように思います。前半が、ハイドンの英語、レスピーギのイタリア語、そしてヴォルフのドイツ語による歌曲。一方、後半はモーツァルトやドニゼッティのイタリア語オペラが組まれています。編成の狙いを話してください。
「節目」のハイドンも
京都では度々リサイタルを開いてきましたが、大阪は2度目。自分の力を、出来るだけ幅広く聴いていただきたいと考えました。まず、長く取り組んでいる歌曲を取り上げます。冒頭のハイドンは、今年没後200年の記念に因み選曲した、親しみやすい曲。レスピーギは1930年代まで生きた20世紀の作曲家ですが、「昔風の5つの歌」は、古典派のハイドンより前のバロック時代の様式を借り、その中にも現代の輝きが感じられる。違和感なく、次の後期ロマン派のヴォルフの曲へと繋げます。一方、後半はオペラアリアで組むことにしました。私は近年、この分野で、自分のレパートリーを、装飾的で華やかな楽句を軽やかに操る「コロラトゥーラ・ソプラノ」へ広げています。ドニゼッティのアリアは、その極致ともいえる作品。関西ではオペラに携わっていませんが、私の新しい面を感じて頂けるなら嬉しいです。
写真:『果てしなきオルフェウスの歌』の舞台=ドイツ・ラインスベルク城室内オペラ
――林田さんの中では歌曲とオペラは、どんな関係にあるんですか。
二つは、あらゆる面で対照的に捉えられがちですが、私は一体のものとして取り組んでいます。歌曲は、演奏家が詩の内容を深く読み込み言葉のイメージを最大限に膨らませる。多くの場合、端正な衣装で、照明や体の所作の変化もあまり付けない。せいぜい顔の表情と象徴的な身振りのみ、音楽的にはピアノだけの伴奏。極めて純粋な、声の芸術です。一方、オペラの場合、歌詞は演劇の台詞。歌だけでなく、身体表現も大切な要素。場面に応じ衣装を替える。化粧や照明、舞台美術とも協働する。そして色彩豊かなオーケストラ伴奏がつく。また、オペラでは私は基本的には、複数の出演者の中で、ある一定の時間を生きる一人を演じる。でも歌曲は、一晩に24曲歌えば、それだけの役柄を演じ分ける。曲間、わずかな時間で、頭や心を次々に切り替えなくてはなりません。今回、歌曲を歌うヴォルフは、ヴァーグナーのオペラの影響を強く受けた人ですが、ヴァーグナーが4時間のオペラで表現した内容を、彼は2、3分で示す。歌曲は「エッセンス」の芸術。一般的には派手でなく、音楽関係者からでさえオペラより手軽に歌えると思われることもあります。でも実は密度が極めて高く、演奏中は緊張と集中を保つことが必要な、ヘビーなジャンルです。
――その林田さんが、オペラに取り組むようになったのはいつ。
両分野手掛けてこそ
留学後、数年経ってからです。京都の高校で音楽を学び始めて以来、アリアも歌いはしましたが、私のレパートリーは長い間、歌曲がメーンでした。同級生には親がオペラ歌手の人も何人かいました。一方、私は中学の合唱部に居ただけ。おまけに変な癖が付いていて、実力は雲泥の差でした。藤花(優子)先生が引き取ってくださり、二人三脚で、牛のような歩みで、ひたすら正しい発声法へ軌道を修正する日々でした。自分の課題を超えるので精いっぱい。よそ見しているゆとりも無かった。オペラには興味も持てず、京都芸大に入っても大きくは変わらなかった。ウィーン音大でも当初、在籍したのは歌曲と宗教曲を学ぶリート・オラトリオ科。歌劇場で大歌手を聴いていると「こんな素晴らしい人が居るのだから、今さら自分がやらなくても」と思えてならなかった。でも音楽の都で過ごすうち「オペラが歌えないのでは、一人前の声楽家とはいえない」と思い直したんです。歌曲でコンサートを開くにはまず、オペラの世界で頭角を現すことも大事という現実も見えてきた。オペラ科にも入り、勉強することにしました。そこで良い師に恵まれました。
――どんな先生?
レト・ニックラー先生はスイス人の演出家。ウィーン音大に赴任されたばかりで、意欲満々。彼はドイツ語はじめ5カ国語を自由に操る。台本の言葉一つひとつを分析し、そこから所作を導き出す。体が自然に動き、不自然に「演じる」必要はなくなります。私もそれまで、言葉から音楽表現を丹念に紡いできた。彼の手法は、分かりやすく、「私にもオペラが歌える」と感じました。また音楽指導担当のチェコ人、イヴァン・パリック先生も新任で、子音の発音をうまく利用してフレーズの最初から声の響きと言葉をクリアに出す歌い方を、厳しく指導された。デビューは、このパリック先生がきっかけでした。
――オペラ初舞台は、チェコでしたね。
チェコ語の特訓受け
2000年はじめ、ある土曜日の朝、電話がかかってきたんです。「アキコ、きょうチェコでオーディションがある」って。国中のインテンダント(劇場支配人)が集まり、新人を募るらしい。時間は午後。場所はブルノ。取るものも取りあえず電車に飛び乗りました。歌ったのは、モーツァルト『魔笛』のパミーナのアリア。オストラヴァの支配人が声をかけてきてくれました。チェコ東部、プラハ、ブルノに次ぐ第三の都市の劇場です。その年の6月、ヤナーチェクの『ロマンスの始まり』を歌うことになりました。作品はチェコ語。私は全く話せない。すぐにパリック先生の発音の特訓が始まりました。オストラヴァには本番前から、1カ月ほど滞在しましたが、日常会話はさっぱり。ところが特訓の甲斐あって、現地の新聞に「ハヤシダの発音は素晴らしかった」と批評が出て…(笑)。翌年4月にプッチーニの『トゥーランドット』でリューの役も頂け、他の劇場や音楽祭へオペラの仕事が広がっていきました。日本では2003年から神奈川・相模原の「オペラ実験工房」シリーズ(※2)で歌っています。先日、『トスカ』を歌ったばかり。オペラも演じてみると役作りが難しいですが、面白い。いつかヴェルディの『椿姫』を歌いたい。
――「本分」の歌曲の取り組みは?
前年1999年に動き始めました。このシーズン、私は6回、リサイタルを開きました。きっかけはベルリンの歌曲コンクール。ウィーンに住む日本人女性ピアニストとデュオを組み参加、入賞しました。パートナーとはウマが合い、その後も夏の講習会に行ったり、お互いの故郷である京都や宮崎でも共演したり。充実の時間でした。あれから10年です。
写真:ヴァーグナー『ラインの黄金』の舞台から=チロルのエルル音楽祭。中央が林田さん。
――難関ジュネーヴ国際コンクールで銀メダルを獲得したのも、このころ。
忘れもしない2000年12月。1次予選、2次予選(リサイタル)、そして本選。本選ではピアノ伴奏によるリサイタルとオーケストラ伴奏によるアリアの演奏が2日間、行われました。実は、その年の5月、私はブリュッセルでエリザベート王妃コンクール(※3)も受けていたんです。準備する曲が非常に多く、こちらも超難関。残念ながら、セミファイナルで夢は潰(つい)えたんですが、仕込んだ曲がジュネーヴで活(い)きました。ここでもパミーナのアリアが受けた。叙情的な私の声に合っていたと思います。ありったけ集中をし、共演に臨んだファビオ・ルイジ(※4)指揮の名門スイス・ロマンド管弦楽団(※5)。豊かな響きが、今も耳に蘇ってきます。メダルをもらってホストファミリーの方々に祝福されたこと、京都の母に弾む声で電話したこと。懐かしい。
――そのあとは、東奔西走のコンサート活動だったんですが、昨年は少し、お休みを取られたそうですね。
「充電期」終え舞台へ
新米のうちは活動を広げたかったし、自分を極限まで燃焼させて歌うことに充実感を覚えてもいました。とにかく、たくさん歌いました。でも、重たい楽譜と衣装を鞄に詰め、来る日も来る日も宿と劇場、飛行場や駅を行ったり来たり。舞台では、愛を謳歌しているのに、言葉も通じない、知らない町で一人ぽっち。旅の生活は寂しい。ウィーンに戻っても、緊張していた。自分は何のために生きているのか-。孤独感が心を蝕んでいくようでした。縁あって2007年夏に結婚し、一人の緊張感から解放され、「引退」の文字が頭をかすめたこともありました。久々にウィーンで冬を過ごしてみて、普通の人々は、こんなにも春を待ち焦がれるんだとしみじみ実感しました。ゆったり流れる時間に浸って、音楽に向かい合う気持ちにも少し、ゆとりが生まれてきたように思います。そして、やっぱり私には舞台が大切なことが分かってきた。大阪の舞台に向け、「ヨシ、やってやるか!」という気持ちです。
※1 シェーンブルン宮殿
オーストリア最大の宮殿。ウィーンを拠点に、中東欧を支配した大帝国「ハプスブルク家」の離宮として17世紀末に建設された。18世紀なかば、女帝マリア・テレジアが改修を加えるなどしているが、オーストリアのバロック様式を代表する建築物として高い人気を誇る。
※2 オペラ実験工房
神奈川県の相模原市民文化財団が主催し、グリーンホール相模大野で上演するオペラ入門事業。グランドオペラを室内楽的に凝縮した形で上演する。福岡へも巡演。
※3 エリザベート王妃国際コンクール
ベルギーのエリザベート王妃により1951年に創設された国際コンクール。前身は、37年創設のイザイ・コンクールで、現在はヴァイオリン、ピアノ、声楽、作曲の4部門があり、各演奏部門は3年に一度、開催される。
※4 ファビオ・ルイジ
1959年、イタリア・ジェノヴァ生まれ。同地の音楽院とパリでピアノを学んだ後、オーストリアのグラーツで指揮を修め、ベルリンやミュンヘン、ウィーンの国立歌劇場でデビュー。1997年-2002年、スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督、芸術監督を務めたのをはじめライプツィヒ放送響、ウィーン響などを首席として率い、2007年からザクセン州立歌劇場、ドレスデン・シュターツ・カペレの監督・指揮者。ザルツブルクはじめ、世界的な音楽祭でも活躍。
※5 スイス・ロマンド管弦楽団
1918年、大指揮者エルネスト・アンセルメが創設。ドビュッシー、ストラヴィンスキー、オネゲル、マルタンといった当時の現代作曲家の作品紹介で知られた。その後、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインといった指揮者を経て、2005年からポーランド出身のマレク・ヤノフスキが音楽芸術監督。
■予定プログラム
○第1部 歌曲
ハイドン:「6つのカンツォネッタ」から「彼女は決して恋について話さない」、「人魚の歌」ほか。レスピーギ:「昔風の5つの歌」から「時々耳にする」「ルビー色の美しい扉よ」ほか。ヴォルフ:「ゲーテ詩集」から「花の挨拶」「ガニュメート」ほか。
○第2部 オペラアリア
モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」からコンスタンツェのアリア「私は愛していました」。ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」からルチアのアリア 狂乱の場「あの方の優しい声が」ほか。
■公演情報
「林田明子ソプラノ・リサイタル」は、2009年11月21日(土)午後4時開演。ピアノ伴奏は、船橋美穂さん(滋賀県立石山高等学校音楽科・京都文教短期大学非常勤講師)。入場料3,000円(指定席)、学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06・6363・7999 土・日・祝を除く平日午前10時-午後5時)へ。