相沢吏江子さんインタビュー

巨匠の遺産 胸に飛躍

掲載日:2009年3月30日

金曜午後、豪華なアーティストの演奏を、お手軽なお値段でお楽しみいただける「ティータイムコンサート」。公演の合間には、茶菓と共にくつろぎの時をお贈りする、ザ・フェニックスホールの人気シリーズです。2009年度も、5月から来年3月まで、計6回を開催します。今季の注目舞台の一つが現在、ニューヨークを拠点に大活躍中の相沢吏江子さんのピアノリサイタル。宝塚出身。10代はじめに渡米、伝説的な巨匠といわれるミエチスラフ・ホルショフスキー(※1 )や、ルドルフ・ゼルキン(※2)といった名手に師事し、才能を開花させた実力派の、歩みと「今」を聞きました。

(構成:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

――アメリカに渡ったのは、いつですか。

中学2年の春、カザルスホールで指揮者のアレクサンダー・シュナイダーさん(※3)と共演させていただきました。彼の推薦で、その夏、初めてアメリカのマルボロ音楽祭(※4)に参加しました。その翌年、この音楽祭に2度目に参加した後、秋からカーティス音楽院へ留学するため、フィラデルフィアに住み始めました。

「一人の演奏家」自覚
-マルボロ音楽祭


――アメリカでは自分の考えを明確に主張しなくてはならない、とよく言われます。戸惑いはありませんでしたか。

日本にいた頃は、自分が子供の年齢だったこともあり、積極的に自己主張するというよりは、受け身で過ごすことが多い毎日でした。でも、こちらに来てすぐ、周囲の人たちが年齢を問わず感情表現が豊かであり、また自分の考えを率直に伝えることに気付きました。もちろん、それだけでなく彼らは、他の人々の主張にも耳を傾けます。そのバランス感覚がとても優れていることを学び、良さを感じました。自らを語ることと、他を聴くこと。今も常に、心掛けています。

――マルボロで、どんなことを感じましたか。

室内楽と初めて出会い、音楽への興味と情熱が一気に深まりました。他の参加者は皆大人でしたが、合奏のリハーサルの際も、私を子ども扱いすることは決して無く、常に対等に受け入れてくれました。大きな驚きでした。それによって、音楽を通じた信頼関係を築くことが出来ましたし、私自身にもある種の確信や責任感が生まれました。そして、自分自身で目標を設けるようにもなりました。何より、ルドルフ・ゼルキンさんの晩年に、マルボロで二夏も一緒に過ごすことが出来たのは、本当に貴重な体験でした。彼の譜めくりを、いつもさせていただいたのですが、目の前で繰り広げられる演奏に感動しているだけは許されません。リハーサル中、音楽をめぐって議論が交わされている時に、ルドルフ・ゼルキンさんが私にも意見を求めてこられる。このほかにも日本の子どもには、考えられないようなことがたくさん あり、大きな刺激を受けました。音楽を奏でる時には、もちろん伝統を大事にしなくてはなりません。でも一方で、曲を通して作曲家のメッセージをいかに伝えるか、演奏者としてのセンスと創意が求められる。その意味で、限りない可能性を持った再現芸術です。そして年齢や人種を問わず、一緒に音楽を作り上げることが出来る。その素晴らしさを、しっかり経験させてもらえました。

共に学ぶレッスン
-ホルショフスキー


――カーティスでは伝説的なピアニスト、ホルショフスキーに学ばれています。どんな音楽家でしたか。

演奏が素晴らしいのはもちろんですが、とても謙虚で誠実な心を持った方でした。単に「曲」をたくさん学んだというよりも、ピアノの世界を通して「芸術」そのものを学ばせていただいたと思っています。15歳から4年間受けたレッスンは、どちらかというと「先生に直してもらう」というスタイルではありませんでした。さまざまな作曲家や作品の素晴らしさをはじめ、音符に潜む謎や自分自身が曲から得た感動などを語り合い、歌い合い、また聴き合い、そのプロセスを通して成長させてもらえる、とても貴重な営みでした。彼の、ウィーン時代の師がベートーヴェンの孫弟子であったり、ホルショフスキーさん自身が昔、ブラームスの仲間だったヴァイオリニストのヨゼフ・ヨアヒム(※5)と室内楽で共演されたといったお話もうかがったりして、私自身が、音楽の歴史にぐっと近く吸い込まれていくようなインスピレーションもいただきました。

――そのあと、ジュリアードでは、あのルドルフさんの子息のピーター・ゼルキン(※6)に師事されました。

ホルショフスキーさんが亡くなった後、ピーター・ゼルキンさんに就いたのですが、これは、とても自然な移行でした。というのも、ピーターさんご自身がホルショフスキーの弟子で、彼をとても尊敬していた方だったからです。音楽思想や、ものの見方・考え方、音楽家としての姿勢なども根本的にホルショフスキーさんと同じでした。ですから、ホルショフスキー先生の下で、私自身が音楽的にも人間的にも築いていきたいと願っていたものを、ピーターさんに更に強化してもらえたと思います。知識も感性も何しろ非常に豊かな方で、充実し、内容の深いレッスンばかりでした。それと、ホルショフスキーさんとは全く世代の違うピーターさんからは、現代音楽の世界も初めて教わることができました。とても新鮮でしたね。

21歳の「決断」
-大都会離れキャリア


――プロとしてのキャリアはどのように築いてこられたのですか。

私の場合は、中学2年の時の、シュナイダーさんとの出会いがきっかけでスタートしたことになります。でも自分のキャリアに関して、初めから明確な計画を持っていた訳ではありませんから、どう築いてきたかと問われても、正直なところ、何とお答えしたらいいか分からないのです。ジュリアードに入り、ニューヨークに住み始めた頃のことを今でも鮮明に覚えています。アメリカ国内やヨーロッパからはもちろんのこと、世界中から素晴らしい音楽家が大勢集まって来る大都会。本当に刺激的でした。でも、ジュリアードの大学院を終えた時は、私はまだ21歳。周りのペースに振り回されるような、競争の激しい環境にいると「自分」を失ってしまうかもしれない。直感的にそう思い、いったんフィラデルフィアに帰ることにしました。フィラデルフィアにいた間も幸運な機会に恵まれ、仕事を重ねることが出来ました。そして30歳になったのを節目に再びニューヨークに戻り、今に至っています。あの決断は私には合っていたのではないかと思っています。

――最近、ご結婚されたと聞きました。パートナーともども、どんな活動を展開されていくのでしょうか。

夫はニューヨークで生まれ育った、アメリカ人ヴァイオリニストです。最近、シェーンベルクの録音でグラミー賞にノミネートされました。クラシック音楽以外でも、日本人ではピアノの小曽根真さんのトリオと共演するなど、ジャズでも活動しています。私と組むデュオでは、バッハから現代に到るヴァイオリンとピアノのためのレパートリーに加え、パーカッションやホルン、クラリネットのゲストを迎えた作品も組み、コンサートを開いています。去年はイタリアをツアーで回りました。いつか日本でも一緒に演奏出来る機会があれば、嬉しいですね。

フェニックス公演
-グリーグ作品軸に


――フェニックス公演のプログラムについて話してください。

グリーグは、最近、特に好きになった作曲家です。この「ホルベルグ組曲」はオーケストラの曲として非常にポピュラーですが、元々はピアノのために書かれた作品です。彼独特の音色で、魅力に溢れていると思います。この作品はとても幻想的なので、後に続く「子供の領分」では、作曲者ドビュッシーならではの幻想世界が、グリーグとは一味違った距離感から浮き出てくるのではないかと思い、組み合わせてみました。「ホルベルグ組曲」はバロック的な形式で書かれている作品なので、プログラムの最後は、バロックのメロディーからブラームスが生んだ傑作の一つ、「ヘンデル変奏曲」で締めくくります。

――故郷・日本の関西での舞台に向けて、ひとことお願いします。

実に多くの欧米人が、日本に興味を持っています。日本は、他のアジア諸国の文化とは全く違った個性を持つ国だと私は思います。私の母国であり、関西出身の私としては、こうして久しぶりに大阪で弾かせてもらえる機会を、とても嬉しく思います!

2009年3月 取材協力:ヒラサ・オフィス

  ■プログラム

グリーグ:ホルベルグ組曲 作品40
ドビュッシー:子供の領分
ブラームス:ヘンデルの主題による
変奏曲とフーガ 作品24

※1 ミエチスラフ・ホルショフスキー(1892-1993) 現ウクライナ共和国リヴォフ生まれ。ツェルニーの弟子で、リストと並ぶ名手と言われたレシェティツキーにウィーンで師事。9歳でデビューし、11歳で南北米大陸を演奏旅行。その後、ナチスに追われ米国に移住、帰化。42年からカーティス音楽院教授を務め、チェロの巨匠カザルスとしばしば室内楽を演奏した。100歳で亡くなるまで現役を貫いた。フィラデルフィアで没。

※2 ルドルフ・ゼルキン(1903-1991) 現チェコ共和国エーゲルでロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。9歳でウィーンに移り、ピアノや作曲を学ぶ。12歳でデビューした後、いったん公開の演奏活動を休止し、修練を積む。1920年にカムバック。名ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュと関係が深く、彼と共に活動を展開し、33年渡米、39年には移住。カーティス音楽院で後進の指導にあたる。51歳からマルボロ音楽祭主宰。ヴァーモント州で没。

※3 アレクサンダー・シュナイダー(1908-1993) 現リトアニア共和国ビリニュス生まれ。ドイツでカール・フレッシュらに師事。1923年ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリニストとなる。その後、米国に本拠を移し、同弦楽四重奏団から離れる。カザルスと共にプラド音楽祭に、ルドルフ・ゼルキンと共にマルボロ音楽祭にそれぞれ携わる。55年に、同弦楽四重奏団に復帰し、活動した。指揮も手掛けた。ニューヨーク没。

※4 マルボロ音楽祭 米ヴァーモント州マルボロの大学キャンパスで6月から8月にかけ、開かれる室内楽音楽祭。1951年創設。米国の室内楽音楽祭の中で、最高峰とされている。すべての参加者が平等な、一人の音楽家として参加する。現芸術監督は、ピアニストの内田光子とリチャード・グード。

※5 ヨゼフ・ヨアヒム(1831-1907) 現オーストリア共和国キトゼー出身。ウィーンでゲオルク・ヘルメスベルガーらに師事。ライプツィヒで作曲家メンデルスゾーンに出会い、共演を重ねる。ロンドンでの活動ののち、リストの招きを受けヴァイマールに赴き、同地のオーケストラのコンサートマスターとなる。この後、シューマンやブラームスと交流を深め、とりわけブラームスにはヴィオリン演奏にかかわる助言を重ねた。ベルリンの音楽学校長を務めたほか、弦楽四重奏団を結成し、欧州一円で活躍した。ベルリンで没。

※6 ピーター・ゼルキン(1947-) ニューヨーク出身。幼児期から父ルドルフにピアノを学ぶ。11歳でカーティス音楽院に入学、ホルショフスキーと父に師事。12歳で、マルボロ音楽祭でデビュー。10代半ば過ぎには本格的な演奏活動に入り、ジョージ・セルやユージン・オーマンディといった往年の大指揮者と共演、リサイタルでも高い評価を得た。73年、クラリネットのリチャード・ストルツマンやヴァイオリンのアイダ・カヴァフィアン、チェロのフレッド・シェリーとアンサンブル「タッシ」を結成。メシアンや武満徹をはじめとする現代作品に取り組んだ。


■公演情報

ティータイムコンサート「相沢吏江子ピアノリサイタル」は10月9日(金)午後2時開演。演奏曲は上記の表の通り。入場料2,500円(指定席)。学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。2009年度の同コンサートシリーズは全6回から成っており、全公演の通しのオトクなセット券(16,000円)、60歳以上の方を対象とする同ペア券(32,000円)も取り扱っています。詳しくは同センター(電話06・6363・7999 土・日・祝日を除く平日午前10時-午後5時)へどうぞ。