連載 What is the Next New Design?15
デザイナー松井桂三さんとの90分 飛び出すデザイン「3D」「触れたい気持ち」くすぐる
掲載日:2009年2月1日
ザ・フェニックスホールのチラシやパンフ制作をはじめ、アートディレクションを担当する国際的なグラフィックデザイナー松井桂三さん=大阪芸術大学教授・ドラマティカ有限会社顧問=のロングインタビュー。松井さんは1980年代なかば、あるユニークな創作に打ち込むようになる。「3次元グラフィックス(Three Dimensional Graphics略称・3Dグラフィックス)」。グラフィックデザイナーは通常、平面で仕事をするが、松井さんは、遊び心と驚き溢れる立体デザインの創造を手掛けるようになっていく。
(聞き手 ザ・フェニックスホール 「サロン」編集部)
写真(上)を見て下さい。これ、招待状なんです。ファッションデザイナーのコシノ・ヒロコさんが1984年の「パリ・コレクション」で新作を発表する折、欧州の業界向けの招待状づくりを依頼されたんです。コシノさんとの仕事については、以前も話したことがありますよね。「和」の感覚をファッションに持ち込み、世界の舞台に挑んでいた彼女が、あのルーブル美術館の中庭に特設されるテントで、自作を世に問いたいという。招待状はそのために極めて大切なツールです。この風船のようなオブジェは、テントをイメージしたものでした。
A4版の紙が2つ折りになっていて、開くと、中に仕込んだ紙の支柱が立ちあがり、折り畳んであった紙がフンワリ膨らむ仕組みです。材質は和紙。西洋の固い紙と違い、柔らかで、緩やかに空気を通すので、こうした仕掛けが可能だし、同時に彼女のファッションセンスも表現できると考えたんです。和紙が持つ、「温もり」の感覚ですね。
この和紙に限らず、人間は立体が目前に現れると、本能的に興味を持ち、触れたくもなる。通常のグラフィックデザインは平面。視覚に訴えるのですが、僕は触覚も刺激したいと思った。うまく作用すれば、送り手の心を伝える「コミュニケーションツール」としての役割を果たしてくれる。これが、「3D」の狙いでした。
パリコレで数年、こんな招待状を作るうち、珍しがって集めてくれる人が出てき、他からも依頼を受けるようになりました。写真(下)は1986年の作品「電話機」。前回も話したファッションメーカー「ワールド」の顧客向けダイレクトメールです。同社の婦人服を扱うお店でも使われ、同社のファッション雑誌の付録にもなりました。会社がファッションに込めたい、シックな感覚。それをアンティークな道具の姿に託し、モノクロームで表現したのです。その年度の日本の東京ADC賞、ニューヨークのADC賞も獲得した、思い出の仕事です。
単なる立方体やピラミッドと違い、こんなオブジェを作るには精密な展開図が必要になる。ただ僕は、オブジェを構想した段階で、頭の中に展開図が大まかながら自然に浮かんでくるんです。幾何学的な勘があるんですかネ。子どもの時から算数や数学は全然ダメだったのに、自分でも不思議でした。
展開図を製品としてキチンと仕上げるには、何より精度が大事。印刷屋さんの手を随分煩わせました。型を作る際は切り目、折り目や糊白も含め、寸分違わない打ち抜き技術が要ります。型が出来たら出来たで、今度は貼り合わせが大変。芸大生をバイトで雇い、組み立てさせるんですが、少しでも狂うとオブジェが歪む。「3D」なんていうと、格好良く聞こえるかもしれませんが、こんな地味で緻密な手作業があって初めて成立するものです。僕には元々、こうした手作業への憧れがありました。それは恐らく、学生時代に遡る。
当時、僕らが受けたデザイン教育というのは思うに、第1次世界大戦後、ドイツで生まれた「バウハウス」(※)の影響を受けていたと思うんです。例えば、ある絵画がどんな色から出来ているか、色単位で分解、数値化し、次に同じ分色を同じ量使って、新たなデザインを作る。また1センチ四方の枡(ます)を最初は1つ、続いて2つ描く。次は90度転がして描く、というような訓練を続ける。ほんとは手が生み出すはずの「デザイン」を紙の上で、理論的に考え出すことも少なくありませんでした。
実はこれらは、工業生産のための産業デザイン学習でした。だから、モノづくりのプロセスもかなり分業化されていた。さまざまな品物が大衆相手に大量生産される中で、デザイン自体も機械生産に適合するように変わっていった。その中で生まれた思想を、当時の日本のアカデミーも受け継いでいたんです。
そんな流れを今なら批判的に見ることも出来ますが、当時はマジメな学生。そうした課題に黙々と取り組んでいました。ところが世の中で仕事をすると、どうもそんな発想では、人の心はつかめないことが見えてくる。DMも招待状も、受け手に捨てられない新しいもの、小さくとも衝動を呼び覚ますものが求められる。
僕は、それは「手作りの温かさ」にある、と考えたのでした。それこそが、デザインの基本に違いない。実際、確かな手応えもありました。
3Dグラフィックスは、1990年代まで集中的に作りました。招待状を開くと、小さな紙の取っ手が見える。それを引っ張ると、90度違う、思いもよらない場所からナイフがニュッと突き出す。あるいは直径2センチほどの大きさの星型の紙片がクルクル回転しながら手元に向かって滑り落ちてきたり、書面に嵌め込まれている円盤が40秒も50秒も回り続けたりするタイプのものも作りました。
これらは、極小な磁石や針金、超薄型のゼンマイなどを巧みに紙と紙の間に仕込んだ「カラクリ」です。手間はかかりますけど僕自身、やっぱり面白くてね。毎日毎日、アイデアを考えてました。1988年には美術系の出版社から頼まれて、自作や世界の3D作品を集めた本まで出しました。
近年、僕は、舞台装置や石造彫刻なども手掛けるようになっていますが、こうした立体的なアートに抵抗なく入っていけるのは、若い時代に取り組んだ「3D」の経験が大きい。どんな大量生産の時代にあっても、いやそれだからこそ、「ハンドメイド」は人の心をつかむに違いありません。
(続く)
※1919年、ドイツのワイマールに設立された総合的な造形学校。工業生産における、機能主義的な近代デザインを模索した。建築家ヴァルター・グロピウスが校長を務めたことで知られる。33年、ナチスによって閉校に追い込まれ、その後のモダニズム建築などに大きな影響を与えた。