南部靖佳さん インタビュー

掲載日:2009年1月15日

 

日本人ながら、アメリカ仕込みの大らかさやフロンティア精神溢れる新鋭フルーティストが2009年2月11日(水・祝)、ザ・フェニックスホールでリサイタルを開く。南部靖佳(なんぶ・やすか)さん。東京出身、9歳で渡米。シンシナティ音楽大学では指揮法も修め、さらにドイツ留学を経て2005年、18年ぶりの日本へ。神戸港に就航する客船の舞台を振り出しに演奏を始め、京阪神、東京、そして海外へと活動の場を広げてきた。恵まれた才能に期待のかかる、関西発のホープだ。自由な発想で、音楽の「楽しさ」を追い求め、フルート音楽の新しい地平を切り開こうと試み続ける、陽気で外柔内剛の、「帰国子女アーティスト」の思いを聴いた。
(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)
「楽しさ」分かち合いたい


■端正な様式感と秀でた技巧、若者らしいパッションが醸し出す独特の「華」。南部さんの舞台の印象である。洗練、洒脱が先に立つフランス式演奏とは違うスタイル。フルートを始めたのは、アメリカの小学校でだった。

移り住んだのはコネチカット州グリニッジ。ニューヨークへ車で1時間の近郊都市です。クラスに一人日本人がいて、学内のブラスバンドを勧められたんです。転入当初、英語に苦労した私を助けてくれた友達の誘い。迷わずフルートを手にしました。最初は音が出ず困りましたが、日本でピアノを習っていたので楽譜は読めたし、ディズニーの音楽や「スター・ウォーズ」といった映画音楽を合奏するうち楽しくなっていった。中学校ではジャズバンドにも入ってサキソホン、高校ではマーチングバンドのトロンボーンまで吹くようになりました。はたから見ても、よほどの音楽好きだったんでしょう。勧められて町の先生に個人レッスンを受けるようになりました。

 

■先生が、「目標」に設定したのは「ジュリアード・プレ・カレッジ」のオーディションだった。有名なジュリアード音楽院の付属教育機関で、才能に恵まれた青少年に基礎的な音楽教育を施す。日本人では神尾真由子、樫本大進、五嶋龍(以上ヴァオリン)、中野翔太(ピアノ)などが在籍した。

 

プロを目指す気持ちはありませんでしたが、受けたら合格してしまった。授業は土曜だけで午前8時半から午後6時まで個人レッスン、オーケストラ、室内楽、ソルフェージュ(音楽の総合的な基礎教育)などで時間割はびっしり。英才教育を受けた子供が集まっていて、親に強いられ涙を流してピアノを弾く子もいたけれど、私は楽しくて仕方ありませんでした。

 

■高校での成績は、学年500人中3番という秀才。有名大学に進学できる水準だったが、進学先に選んだのはシンシナティ音楽大学。プレ・カレッジの先生が教鞭を執る名門で、誘いを受けたのだ。

 

プレ・カレッジに通い始めた頃、ある録音を聴いて打たれるような体験をしたんです。キャロル・ウィンセンス(※1)が吹いたエネスクの演奏でした。私はそれまでフルートを「きれいな音色のする華やかな楽器」としか捉えていなかった。でも彼女のは力強く情熱的で、迫力もあって圧倒された。この楽器の可能性を感じ、本格的に取り組むようになりました。

 

■「プロ志願」は遅めだったかもしれないが、アメリカの学制は、弾力的に出来ている。南部さんは既に高校で大学の一般教養にあたる科目の単位を取得していた上、入学早々に受けた試験でかなりの科目の単位を取ってしまい、シンシナティでは演奏と音楽史などに集中できることになった。「順風満帆」の学生生活と思いきや、「壁」にぶつかってしまう。

 

先生とソリが合わなくなったんです。アメリカ人とは体格も体力も違うのに、同じような演奏法を求められて体調を崩したり、曲の解釈で意見が対立したり。私は、納得しないと動かない性格です。レッスンはつまらなくなり、欠席するようになった。オーケストラや室内楽は大好きで楽しんでいましたが内心は「向いていないのかなぁ」と落ち込んでいました。

 

■「スランプ」の中でも、卒業演奏を前倒しするなどし、通常4年かかる卒業単位を南部さんは2年で取得。勉強を深めるために進路を探る中で声を掛けてくれたのは、何と指揮科の先生だった。

 

フルートは無理でも、音楽には何らかの形で携わりたい。音楽事務所で短期間、働いてみたこともあります。そんな姿を知っていた指揮の先生が言ってくれたんです、「どんな仕事に就くにせよ、音楽を深く勉強したいなら、指揮が一番だ」って。大学院の指揮科に進みました。週2回、30人ほどのオーケストラで指揮をする。棒振りの技術はもちろん、音楽も背景の勉強もし、考えを示さなくてはならないですが、問題はリーダーシップ。オーケストラは生身の人間の集まり。学生とはいえ、芸術家気質の集団です。望む方向に導くには「人間」としての魅力が要る。皆が納得する形で進めていくための一番の決め手は、「思いやる力」だったと思います。

 

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■音楽を大きく捉える中で、自分や周囲を客観的に見詰めるゆとりも生まれた。指揮台の上にいても真正面に陣取るフルートには、やはり愛着を感じていた。大学院修了のころ転機がやってくる。ドイツ留学である。

フルートは続けていたんです。指揮科の先生から「専門の楽器を、マスターしておくこともやはり大事」とも指導されていました。スポレト音楽祭(※2)のオーケストラに参加した折、ヨーロッパの学生からハノーファー音楽大学の評判を聞き、興味を感じた。幸いドイツ語は勉強していましたし、学部・院生時代を通じて奨学金を受け、経済的にもゆとりがありました。一度ドイツに行って、勉強しよう―と考えると一番の近道は、やっぱりフルートでした。恩師となったエアドムーテ・ベア先生は幸い、学生の個性を見極めて伸ばし、自由な解釈を受け入れてくれるタイプでした。新天地で取り戻した「楽しさ」。コンクールやオーディションで好成績を残し、周囲から一目置かれるようにもなりました。演奏家として生きる自信はついたのですが、多くの仲間のようにプロのオーケストラを目指す気にはなれませんでした。

 

写真:ピアノの藤井快哉さんと

■これには若者対象の教育オーケストラに参加した体験が影響している。バイエルン州で開催されている「国際青年オーケストラアカデミー」。各国で選ばれた同世代の学生が夏、集まって暮らし、演奏する。先進国のほかイラクや北朝鮮、アルメニアなど途上国の学生も含まれていた。

 

彼らは戦争や圧政、困窮など様々な環境の中、質素な楽器で音楽を追求していた。私のように自分が望むことを一つひとつ積み重ね、挑戦を続けられること自体、彼らから見れば既に「幸せ」なんですよね。すると有名な職業オーケストラに入って経済的に安定し、高級な楽器を携え、立派なホールで演奏するというコースだけが、「最高」という訳でもないかもしれないように思えてくる。音楽家の「幸せの姿」は、他にもあるはずです。

 

■研さんを終え、模索を試みる拠点として選んだのが、母国・日本の神戸だった。ご両親の事業の関係で、神戸港に就航する客船での仕事にまず携わることになったのだった。

 

欧米の生活に区切りをつけ、日本に戻るのは勇気が要りました。外見は全くの日本人。当然のように日本人であることを求められます。日本語はとても難しい。アメリカやドイツにはハッキリした物言いをする人が多いですし、私も馴染んでいたのですが、日本ではそれが時に失礼になってしまう。ここ3年ほどで言葉遣いには、だいぶ慣れましたけど、上下関係を重んじ、一人ひとりの人間に増して「組織」や「団体」を大切にする風土は、いまも戸惑うことがあります。

 

■母国との「異文化体験」を重ねながら、大阪フィルや日本フィルと共演する好機をつかみ、リサイタルやコンクールでも評価を広げてきた。一方でフィギュアスケート選手やポピュラーアーティストと協働を重ね、ライブハウスなどでも「間口」を広げているのは、南部さんならでは。

 

すぐ気付いたのは、日本ではクラシック音楽が特別な存在になっているということ。チケットが割高なことなど、原因はいろいろでしょうが少なくともアメリカやドイツほど気軽ではない。コンサートホールに行ったことがない人が身近にも結構いらっしゃり、「それなら自分からいろんな場所に出て行こう」と考えるようになりました。高校時代から老人ホームや小学校、レストランなどで演奏することには慣れています。こうした活動を渋るアーティストもいますが、私は大好き。だって楽しいですもん。いろんな場所で、いろんな人に、私が感じている楽しさを、出来る限り伝えたい、分かち合いたい。

 

■今回のプログラムには、フルート音楽の「粋」が集められている。聞き手には喜んでもらえるが、新人としてはかなりヘビーな内容だ。

 

メーンのプロコフィエフのソナタは、フルートのために書かれた名作中の名作。胸を張ってお勧めできます。20世紀ロシアのモダニストの作品らしく、重く激しい表現に溢れていて「キラキラ美しい小鳥の声」といったフルートの一般的なイメージとは異なる魅力をお届けします。「3つのアメリカ風小品」は、ボストンに拠点を置くアメリカの重鎮ルーカス・フォス(※3)の作品。グランドキャニオンや広大な砂漠といった、アメリカの「原風景」が思い浮かぶような素朴な曲で、びっくりするような音色も出てきます。シューマンの「3つのロマンス」は元々オーボエの曲。クラリネットなどでも演奏されることが多いですが、今回はフルートでどう表現できるか、お楽しみに。「カルメン幻想曲」は有名なオペラ「カルメン」から「闘牛士の歌」や「ハバネラ」といったアリアを題材に取り込み、華麗な変奏に編曲した名曲。テクニックを披露できる曲としては、ベームの「グランド・ポロネーズ」も同じ。木製で、早い指使いが難しかった楽器を改良した作曲者が、自分の製品の性能をアピールするため手掛けたデモンストレーション作品です。ピアノの藤井快哉さんは公演に向け、1年以上前から一緒に準備を重ねてきた「信頼のパートナー」。2人が交わす「音楽の会話」をエンジョイして下さいね。

 


■プログラム
ベーム:グランド・ポロネーズ 作品16
シューマン:3つのロマンス 作品94
ボルヌ:カルメン幻想曲
フォス:3つのアメリカ風小品
オネゲル:雌山羊の踊り(フルート独奏)
プロコフィエフ:フルート・ソナタニ長調 作品94


 

※1 キャロル・ウィンセンス アメリカのフルーティスト。1978年、アメリカを代表するコンクール、ナウムバーグコンクールのソロフルート部門で優勝。欧米の一流オーケストラや音楽祭に独奏者として招かれ、またジェシー・ノーマン(ソプラノ)、エマニュエル・アックス(ピアノ)、ヨーヨー・マ(チェロ)、グァルネリ弦楽四重奏団といった著名音楽家たちと共演。ミネソタ州セントポールで国際的なフルート音楽祭を創設。ジュリアード音楽院やインディアナ大学などで後進の指導にあたる。

 

※2 スポレト音楽祭 サウスキャロライナ州チャールストンで1977年に創設され、毎年5月から6月にかけ開催されている音楽祭。イタリアのスポレトで開催されている同名の音楽祭と連携し、先進的で高い水準のオペラやダンス、演劇、クラシックコンサートなど100公演が開かれる。毎シーズン8万人もの聴衆を集め、アメリカを代表する音楽祭として知られる。

 

※3 ルーカス・フォス アメリカの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者。ベルリン生まれ。同地とパリに学んだ後、渡米し、カーティス音楽院、イェール大学で学ぶ。ボストン響のピアノ奏者を務めながら作品を発表するようになり、カリフォルニア大、ニューヨーク州立大などで教鞭を執る。またブルックリンフィルやミルウォーキー響などを拠点に指揮者としても活動を広げる。初期の作品の多くは調性を持ち、疑古典派的だったが、その後十二音技法を用いるようになり、さらに即興性や偶然性を取り入れたり、ミニマル音楽の影響を受けるなど多面的な創作を展開した。「3つのアメリカ風小品」は初期の1944年から45年にかけての作品。

 


■公演情報
「南部靖佳フルートリサイタル」は、2009年2月11日(水・祝)午後4時開演。演奏曲は、上記の表の通り。
ピアノ伴奏は、藤井快哉=よしき=さん(神戸出身。大阪音楽大学・神戸女学院大学音楽学部非常勤講師)。
入場料3,000円(指定席)、学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。
チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06・6363・7999土・日・祝を除く平日午前10時-午後5時)へ。