連載 What is the Next New Design?14
デザイナー松井桂三さんとの90分 ブランド戦略 ミラノで探る「夢のカケラ」
掲載日:2008年8月31日
ザ・フェニックスホールの公演チラシやパンフレットの制作をはじめ、アートディレクションを担当するデザイナー松井桂三さん=KEIZO matsui Dramatic(有)代表・大阪芸術大学教授=。その半生をたどるロングインタビューの14回目。米国でアップル・コンピュータ(現アップル)の製品パッケージの仕事を終えた後、松井さんがエネルギーを注いだのは、国内アパレルメーカー婦人服の、ブランド戦略だった。「ファッション」は、「夢」の提案に他ならない。松井さんの豊かな発想の裏にはいつも、旅先で五感を総動員して獲得し創り上げた、明確なイメージがあった。
(聞き手 ザ・フェニックスホール「サロン」編集部)
次に引き受けたのは神戸を本拠に置くファッションブランド企業、ワールドの仕事でした。高校以来の知人が働いており、僕の仕事ぶりは重々、知ってくれていたんです。
1980年代なかば、ワールドはイタリアの薫り豊かな婦人服の新ブランドを立ち上げようとしていた。僕の仕事は、このブランドが市場に打って出るにあたり、斬新で高級なイメージを端的に表現してみせることでした。消費者の目につきやすい仕事としては、ブランドのカタログ作りです。今も、ブランドショップのカウンターに、分厚い作りの本みたいなのが置いてあるでしょ。あれをデザインするんです。ただ、僕のは冊子じゃなく、当時としては珍しい、一見新聞みたいな軽やかな作り。ヴィヴィッドな情報を顧客の前に、鋭いスピード感と共にお知らせする。そんな思いを込めた媒体です。
「新聞」風になったのは、他でもない、この媒体をつくるため僕が「取材」をしたからです。むろん、最初はクライアントのブランドイメージを僕なりに理解する。それに適合する人、景色、生活といった素材を、イタリアで探すんです。記者さんみたいにネ、ペンとノートを携え、コピーライターともども飛行機で向かった。
最初の行き先は、ファッションの町ミラノ。石造りの、落ち着いた色調の街路を、ワインレッドやレインボウ、鮮やかな色彩のワンピースをまとった女性たちが颯爽と歩いていた。
ユニークな作品で知られるラウラ・パンノ=彼女の自宅兼アトリエで
青春時代、貧乏旅行の折は、仕事が見つからず、途方にくれたあの町。でも、今度は違います。町一番の粋なレストラン「イル・ソーレ」で本場のイタリア料理を堪能しました。
この店のテーブルを囲むのはアーティスト、写真家、文筆家といった“業界人”が大半。長髪、アゴヒゲ、縁無しメガネ。柔らかな光と紫煙の中、彼ら一人ひとりの表情が塑像のように浮かび上がる。ヴィスコンティ監督の映画のような、歴史と品格が感じられた。むろん料理も、店の風格を映す味わい深いものでした。
思い出のレストランをもう一つ。繁華街から少し離れた、閑静な街にある「グァルティエロ・マルケージ」。現代イタリア料理の巨匠の名を冠したこの店は、内装や料理がまるで端正な芸術品なんです。一つひとつのテーブルに、違ったオブジェが置いてある。メタリックな工芸や陶器、絵画―。意を尽くしたアートが、さり気なく息づいており、その場に居るだけで崇高な気持ちになるようでした。
ラウラ・パンノとの出会いは、滞在の大きな収穫でした。キャンバスの上にモノクロで絵を描き、その上に金網で巧みに創ったトルソ(胴体の彫像)を配する。こんな独特の作品で知られた女性アーティストで、ヴェネツィア・ビエンナーレにも招かれていた。ミラノのアトリエ兼ご自宅にお邪魔したんですが、簡素ながらも洗練された生活の中に、研ぎ澄まされた創造のルーツがあることが感じられました。交友も広く、一緒に近くのレストランに夕食に出掛けた折には、有名ブランド「ミッソーニ」を経営する親友のミッソーニ夫妻とばったり。「ファッションの本場」を実感しました。
モデルのオーディションをし、鼻筋の通ったとびっきりのシニョリーナ(女性)と向かったのがピエモンテ州。知り合いの彫刻家からワイン取材を勧められ、丸一日かけ出かけることにしたんです。
州都トリノから北のフランス国境近くへ。ぶどう畑の中の道を車で抜け、通されたのが醸造所。古城の地下貯蔵室、ひんやりした空気の中、すすけた樽(たる)やボトルが闇(やみ)に連なっている。ワインの香りに満たされ、巣を張るクモも酔っ払ってそうです。
ここで造られていたのが「バローロ」。高級揃いのピエモンテのワインの中でも芳醇な香りと、渋みを帯びたコクで知られる銘酒。ミラノはもちろん世界のレストランで珍重される「王様のワイン」。長い時間かけ熟成させる。
ボトルを手に取ると30年ものはざら。50年、60年ものまでありました。飲むには古すぎるように思いましたが、伝統と格式を引き継いでいるプライドが感じられました。
こんな取材を重ね、あっという間に10日が過ぎた。夜、宿に戻ってベッドに倒れ込むと瞼の裏に、いろんなイメージが蘇ってきた。ミラノの町並み、パンノの邸、部屋、家具。レストランに集う人々、そしてアート。洗練された食事、ワイン。それを支える地下室の匂いも。五感で得たすべてを、一つのストーリーとして構成し、その中に神戸のクライアントのアパレルを纏ったモデルを置いてみる。
それは単に「モノ」として衣料を紹介する営みではない。僕が目指したのは、ファッションの町ミラノのエッセンスや、そこに生きる人々の高質の生活、あるいは伝統や品格とも結び付いた「メディア」として、ファッションを世の中に提案する行為だったんです。
ファッションは、それで装う人に「夢」をもたらすもの。現実には有り得ないイメージを、袖を通した途端に疑似体験させてあげられなくてはなりません。そんな「夢」を創造するのも、僕らデザイナーの仕事に違いありません。そのために現実の世界から最高の材料を選び、バーチャルな、しかし完結した世界を創るのです。
この仕事は一見、ジャーナリストの取材紀行のようだったかもしれない。でも実は全く異なるものです。眼前に立ち現れる事物を、虚心坦懐に見つめ自分の中に収めるのではなく、僕は明らかに、あるイメージを求めて旅をした。五感を全開にし、旅をした。無数の「ホンモノ」に出会う中、僕が日本を飛び立つ際に抱いていたイメージは何度も裏切られ、置き換えられるのでした。
いま、インターネットの時代、私たちは居ながらにしても何でも手に入ると思ってしまいがち。でも、旅先の、五感を震わせる体験こそが実は、人々に夢を与えるデザインの原点なのです。
(続く)