平野公崇さん インタビュー

掲載日:2007年8月15日

クラシック、現代音楽、ジャズ、即興演奏・・・・。縦横無尽に駆け抜けるサクソフォン奏者・平野公崇がザ・フェニックスホールへ登場する。この7月にも大阪フィルと共演(飯森範親指揮、グラズノフ<サクソフォン協奏曲>)で関西のファンを沸かせたばかりだが、12月に聴かせてくれるリサイタルでは、ジャンルを越えて自在に巡る彼の音楽、その鮮烈と深みをたっぷりと聴かせてくれるだろう。リサイタルを前に、演目にこめた思いをうかがった。(取材・文:山野雄大)

「音楽のキモ」瞬時に把握

人と曲と-触れ合い二つ

 

 彼のサクソフォンから響く妥協なき音楽と、実際の彼に会ったときの柔らかい雰囲気。それは少しも矛盾していない。軽やかなフットワークをもちながら、限りなく真摯に。音楽を裏まで射抜く鋭さと、それをまるごと愉(たの)しむふところの広さ。
「今回はかなり変わったプログラミングですよねぇ」と、東京都内のスタジオでリハーサルを終えたばかりの平野公崇は笑いながら語り出す。前半の演目は現代の作曲家たちが炸裂させる多彩な発想で愉しませ、後半は≪ゴールドベルク変奏曲≫をはじめとしたバッハ作品の編曲だ。
「前半はご存知ない曲が並ぶかも知れませんけど、これは、私たち出演者とお客さんが、人間対人間としてコミュニケーションを取ろうというプログラムです。そして後半は、皆さんよくご存知のバッハ作品。音楽自体が皆さんと接点を持てるようなプログラムですね。普通は反対で(笑)、前半で楽しんだあとにだんだん‥‥ってやるんですけど、今回は正々堂々と1曲目から〈私はこういう者です。〉ってちゃんとご挨拶しようかな、と」
平野公崇、名刺がわりの1曲目は、クリスティアン・ロバの≪ハード≫。過激な無伴奏作品だ。
「いきなり超本気からはじまるんで、皆さん遅刻しないようによろしくお願いします(笑)。これは、インプロヴィゼーションとコンテンポラリーとハードロックをミックスしたような曲です。学生時代、この曲を聴いて〈こんな曲が世の中にあったんだ!〉と大ショックを受けて留学を決めた曲なんです」
颯爽と、そして激しい勢いでジャンルを越える平
野公崇のサクソフォン、まずはその原点ともいうべき曲から始まるというわけだ。
続いては、ヒンデミットの≪ヴィオラ・ソナタ 作品11-4≫サクソフォンとピアノ版。‥‥平野公崇という若き天才サクソフォン奏者は、パリ国立高等音楽院を経てJ.M.ロンデックス国際コンクールを(日本人として初めて)制したことももちろん、デビューCDアルバム3部作の充実と多彩によってもその才を世に知らしめた。コンテンポラリーと即興で構成された『ミレニアム』、ジャズとの融合を果たした『ジュラシック』、そしてクラシック作品を集めた『クラシカ』。今回披露されるヒンデミットのソナタは、この『クラシカ』にも収録された思い入れ深い作品だ。
「若いロマン性っていうんですかね、名曲なのにヴィオラの世界以外ではあまり皆さんご存知ない曲で、もったいないですね。ヒンデミット自身がヴィオラを弾いたので、自分の得意とする楽器の曲は力が出せるんだろうなあ、と感じますね。作曲家が本気で書いてくれてる曲は、無意識のうちにこっちが本気になってしまう。このヒンデミットは、私のご挨拶に続いてピアニスト・山口研生さんをご紹介する曲でもあります」
そう、ピアニストにとってもたまらなく素敵な音楽だと、弾いたかたは口を揃えて語る曲。立ち姿冴えたロマンが美しい作品だ。 

「極限」に挑む20世紀作品

 前半でさらに面白いのは、現代フランスの作曲家サヴレーの作品。
「このアラン・サヴレーという人は、実は僕が留学し
たパリ国立高等音楽院で、即興演奏のクラスの教授をしていたかたなんです。僕に非常に影響を与えてくれた人物でした。今回の曲、まぁ普通の曲かって言われたらそうじゃないですけど(笑)、楽しめると思います。初めて聴く人も、理屈ではなくあるがままを聴いてほしいですね」
≪ア・フラン・ド・ボザ(ボザ山中腹)≫というちょっと不思議なタイトルがついているが、「ボザ山は、作曲家が子供の頃に住んでいた地域にある山です。道もあるか無きかという山を登っていくと、ある尾根に忽然と大きな石があって、そこには人みたいな形とか丸とか、象形文字みたいなものが彫ってあるんだそうです。〈ナスカの地上絵〉のようなミステリーを感じさせる岩なんですが、しかも上に磁石を置くと突然ぐるぐる回り出す。磁場が狂ってるんですかね‥‥」
その神秘的な山からインスピレーションを受けて生まれた曲とのこと。共演するピアノも、楽器の内部に張られた弦にあれこれ仕掛けをして音色を変える〈プリペアド・ピアノ〉と指定されており、サクソフォンともども多種多様な演奏技巧を要求する。
「20世紀の作曲家がやろうとしたことのひとつに〈楽器の可能性を極限まで追求する〉ということがあります。この曲でも、ピアノという楽器にできることを最大限に捉えたところで表現しようとしています。そしてサクソフォンは‥‥うーん、先に種明かしをしていいのかなぁ」
実は、非常に面白い(というより、観たらまちがいなく仰天する)奏法が指定されている。当日ご覧になってびっくりしていただくために、ここでは内緒にしておこう。
「‥‥というわけで、二人の奏者がその楽器でできる極限の状態で、どこまで可能性を引き出せるか、という曲なんです」
お楽しみに。

「モーター」見極める緊張感

 このサヴレー教授に学んだことは本当にいっぱいあります‥‥、と平野公崇は語る。「即興演奏のクラスに入る筆記試験で、〈今から音源を聴かせるので、その《原動力》を答えなさい〉っていう問題が出たんです。原動力、つまりモーターですよね。なんだよそれ、って感じじゃないですか(笑)」
その意味はクラスに入ってからわかることになる。
「たとえば、誰かが短いモティーフを吹いたら、じゃあみんなでこれの《原動力》を考えよう、というような授業をやるんです。言葉を換えれば“ミソ”とか“ツボ”、あるいは“核”のこと。‥‥ひとつのモティーフも分解していくと、〈押しつけるようなクレッシェンド感〉が鍵を握ってたり、〈がさがさした音色のアグレッシブさ〉が大事だったり、いくつもの要素が合わさってできている。それを分析し、その中で最もそのモティーフを決定づけているのは何か、というのをぱっと見極める練習なんです」
私たち聴き手も、音楽から無意識のうちに豊かな可能性を受け止めているはずだが、演奏家はそれを我がものとしてはっきり把握できなければいけない。つまりこれは、音楽から瞬時に発想のキモをつかみだす訓練というわけだ。
「バッハを演奏する時も、フレーズの一番キモになる原動力をぱっとつかもうとする癖がついちゃっている。だからコンテンポラリーをやるにしても、ヒンデミットでも、バッハでも、あるいはジャズでも、最初そこをに見ようとする。サヴレー先生に教わった最も大切なことでしたね」
彼のサクソフォンが、どれほどリラックスしても弛緩せず鮮やかなのは、この快い緊張感ゆえだ。自身もいま学生に教える時、このやりかたを応用しているという。「東京芸大でソルフェージュを教えているローラン・テシュネ先生は〈これは心のソルフェージュだね〉と言ってくださいましたが、まさにそうなんです。音を通して、本人すら気づいていないような心理の深いところまで見えてしまうかもしれない。これが読めると、音楽は本当に面白くなる」
それにしても充実した留学生活だったようだ。「サックスを教わったドゥラングル先生には、音を聴けば口の中がレントゲン写真で見えてるみたいになるまで訓練されました。サヴレー先生には、音を聴けば心理が映像になって浮かぶようにしてもらったわけでしょ。もう、朝から晩までともかく全部が見えっぱなし(笑)。激動の時代でしたねぇ」

バッハ-理屈抜きの幸せ

 ところで、今回のリサイタルの後半ではJ.S.バッハの作品を披露する。鍵盤楽器のために書かれた≪ゴールドベルク変奏曲≫は、アルバム『クラシカ』にも自身の編曲で収録しているが「これはもう、録音した時と今では、まったく違います。楽譜も5倍くらいに増えちゃってるし(笑)、完全にひとり歩きしちゃってますね」
もちろんバッハの時代にサクソフォンという楽器はまだないけれど(19世紀半ばに発明された)、そのとろけるような色あいや力づよく震える深み、バッハの音楽から豊かな色彩と凛とした歌をひきだして魅力的だ。時代を越えた出逢いの素晴らしさ、といえようか。
「バッハって、不可解な楽譜のくせして、その不可解さをまったく感じさせない自然な説得力がある。あれは何なんですかね(笑)。無駄ではないし、過度ではない。よほど音楽の全体がよく見えてた人なんでしょう。すごく優秀な板前さんが〈鰹のいいのが入ってるのか、じゃあこれでいこう〉と今夜のお品書きをすらすらっと書いちゃう‥‥みたいに書いてるじゃないですか(笑)」
今回は他にも≪主よ、人の望みの喜びよ≫など、自身で編曲したバッハ作品へ聴き手を深くみちびく。 「もう、バッハに触れてる時間は理屈抜きで幸せだから、演(や)っちゃう。だから〈サックスでバッハをやるなどけしからん〉とか言われたら、すいませんって謝るけど、でも演る(笑)」
サクソフォンに広がる多彩な世界を、さまざまな角度からみることのできるリサイタルになるだろう。平野自身も大阪での演奏を楽しみにしているという。「大阪のノリの良さ、壁のなさはもう最高ですよね。伝統と今とが面白い共存をしている大好きな場所です。‥‥フランスに留学してた時、関西の人がすごく多かった。しかもパリの人たちとファッション・センスとかが近い。大阪の人は東京よりパリへ行っちゃうほうがいいんだろうなぁ」
 世界を颯爽と越境する男が、頬をゆるめて降り立つ街。その底知れぬ本気との出逢いを、楽しみにしよう。

 (音楽ライター)