「ユダヤ 声の万華鏡」屋山久美子さんインタビュー

掲載日:2006年10月23日

7月25日(月)、ザ・フェニックスホールで行われる「ユダヤ 声の万華鏡」公演。紹介するのは、「ミズラヒム」と呼ばれる中東系ユダヤ人の歌の数々です(※下記「ユダヤ人コミュニティについて」をご参照ください)。彼らは、ユダヤ人でありながら周辺のイスラム世界の影響も取り入れ、他の、よく知られた西洋系のユダヤ人コミュニティとは異なる独特の音楽文化を育んできました。今回は「ミズラヒム」の中でも、特にイエメンやシリアといった地域にルーツを持つ、名うての歌手が初来日。中東風の魅力あふれる歌声を披露します。長くエルサレムに留学し、この公演のコーディネーターを務めているユダヤ音楽・西アジア音楽研究家の屋山久美子さんに、日本や西洋社会では長く顧みられることがなかった「知られざるユダヤ人」とその音楽の魅力などを伺いました。

(ザ・フェニックスホール 「サロン」編集部) 
  
  
 世界一周音楽の旅シリーズ15

「ユダヤ 声の万華鏡」公演(7月25日)
知られざる「中東」の歌唱

聴きどころ紹介

――今回、取り上げられる「シリア・アレッポ系ユダヤ人の華麗な歌唱」はどのようなものですか。
 
エルサレムのユダヤ人教会(シナゴーグ)の一つ「アデス・シナゴーグ」で毎週土曜、行われる宗教儀礼「シラート・ハバカショート」の歌を紹介します。この儀礼はシリアの古都アレッポで生まれたもので、深夜から翌朝7時ごろまで延々、歌い続けるのです。この伝統はもともとシリア系のユダヤ人のものでしたが、彼らがエルサレムに移住して、さらに発展しました。
というのも、この歌があまりに素晴らしかったため、エルサレムで隣り合わせに住むことになったペルシャ系やイエメン系のユダヤ人も加わるようになったからです。今回お聞かせするのは、5人の男声コーラスですが、メンバーの出身を見るとイエメン系、ペルシャ系、トルコ系と実にさまざま。この音楽を支える層の厚さを表しています。“本家”のシリアではユダヤ人コミュニティがなくなり、この伝統は途絶えてしまいましたが、広い意味でユダヤ人全体の宝になりつつあると言われています。
 
――どんな歌なのですか。
 
信仰対象である、彼らの神を崇め、称える歌です。メロディは基本的に一つ。全員一斉に歌う合唱部分と、朗々たる独唱が続く部分から成ります。特徴的なのはメリスマ。江差追分など日本の民謡で聞かれる「コブシ」で、旋律を装飾する働きを持っています。ユダヤの人々は「これがなければ、香辛料のない料理と同じ」と、とても重視しています。またアラブ音楽に特徴的な音階・旋法(マカーム)を即興的に使い分け、歌を途切れないまま延々と展開する能力が歌手には要求されます。西洋音楽は、歌い手がそれぞれ別の高さの音で歌い、ハーモニーをつくり出したのですが、この歌は旋律を延ばしたり、装飾を付けたりして発展していくのです。「縦」ではなく「横」に広がった音楽といえるでしょう。
 
――儀礼の歌なのですね。
 
ところが、厳粛な雰囲気が殆どないんですよ。歌手は、背広の内ポケットにコニャックの小瓶を忍ばせ、時折呑んでは威勢をつけて歌う。独唱部分は「歌合戦」という感じで、厳かさを予想していた私も、最初はびっくりしました。「オレが歌うはずの“サビ”までオマエ歌ったな」なんて、カラオケボックスでも起こりそうな小競り合いがあったりもします。でも彼らのそんな生き生きした姿に感動して、10年以上、研究をしてきました。
 
――宗教の場で、なぜそういった音楽が演奏されるようになったのでしょう。
 
この伝統はもともと16世紀に流行した神秘思想の影響を受けています。ユダヤ教は元来、戒律の宗教です。たとえば、「安息日には働いてはならない」という規律は絶対的な規範です。祈りにしろ、食事の内容にしろ、事細かに定められた厳しい決まりがあります。音楽を禁止する一派もあります。でも、神秘思想では音楽や歌が積極的にとらえられ、次々に宗教歌が生み出されました。それらの多くは元々、周辺で歌われていた恋愛歌などなのですが、その歌詞を聖なる言語であるヘブライ語に替え、「女性への愛」は「神への愛」に変わりました。宗教音楽と世俗音楽、その両方の性格を併せ持っている点が面白い。人々は神へ歌をささげるとき、陶酔の境地に至ることもあります。でも、優れた宗教歌手たちは、自分を見失うことなく、歌い続ける。そして音楽的にさらに高度な表現を求める中で、芸術的な表現が洗練されていったわけです。
 
――どのように伝承されているのですか。
 
楽譜はなく、すべて口伝え。子どもたちは2、3歳でシナゴーグに伴って行かれ、大人たちの歌に馴染みます。最初は合唱に加わり、美声に秀でた子には独唱を受け持たせる。女性も含め、シナゴーグに集まった人々が喝采するなり、顔をしかめるなりで評価し、「地域の歌手」として育てていく。世俗世界では、医者であろうが大学教授であろうが、歌が下手だと、この場では尊敬されない。ある意味で厳しい世界です。
 
 
――歌手たちはふだん、どんな生活をしているのですか。
 
今回のメンバーのうち、イェヒエリ・ナハリだけは職業音楽家として自立していますが、あとは役所や商店などで働く普通の人。でも歌は超一流で、外国への演奏旅行も重ねています。ミズラヒムのコミュニティは世界各地にありますが、ニューヨークをはじめ、中北米や南米の主要都市には特に大きいものが散在しています。彼らはこれら地域のシナゴーグから招待を受けてきました。ナハリはブルックリンで10年間、カントル(音楽監督)を務めた経験もあります。あちこちジェット機で飛び回る生活は、パヴァロッティやカレーラスのような人気オペラ歌手と同じ。ただ、従来の活動はシナゴーグやコミュニティでのお祝い事などでの活動に限られていました。宗教のつながりがない場所で、「コンサート」として歌うのは実は、大阪が初めて。本当に貴重な公演だと申し上げたいです。
 
――今まで教会以外の場に出なかった歌が、出てきたのはなぜでしょう。
 
イスラエルは、シオニズム(ユダヤ人のパレスチナ回復・祖国建設運動)で生まれた国。この運動の主体は、ヨーロッパ在住のユダヤ人でした。その影響からイスラエルでは長く、西洋のクラシック音楽が高尚な音楽と考えられ、彼らの音楽は「二級」と位置付けられることが少なくなかったのです。西洋流の楽譜はない。組織だった教育が行われているわけでもなく、芸術なのか娯楽なのかも判然としない。日本に置き換えて考えてみると明治政府の脱亜入欧政策や、太平洋戦争後に流入したアメリカ文化の影響の中、日本の伝統音楽があまり重要視されなかったのと共通しています。ミズラヒムの(ユダヤ)音楽は、特にイスラエル建国(1948年)の後、中東で敵対するアラブ人の音楽であるとして、イスラエルでは「望ましい音楽」と位置付けられなかった事情もあるかもしれません。しかし近年、複製技術の進歩・普及によって、ミズラヒムも自分たちの演奏を簡単に録音・複製し、流通させられるようになってきました。一方で、世界のさまざまな音楽を親しむファンが国際的に増えてきています。音楽の興味が細分化し、エスニックな音楽に関心が集まる中で、彼らの音楽にも関心を持つ人が出てきたことが大きいですね。それは、今公演のもう一つのテーマ「イエメン系ユダヤ人の古い歌」にも言えることです。
 
――こちらは女性のギーラ・ベシャリさんが出演されますね。 
 
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▲ギーラ・ベシャリ

アデス・シナゴーグに限らず、シナゴーグに集まるのは男性が大半。でもギーラさんのお父様はリベラルな方で、幼いころから彼女を導き入れ、歌唱伝統を学ばせていた。一方、自宅ではお母さん、お婆さんから歌を教わり、才能を開花させていきました。彼女は、イエメン系ユダヤ人の音楽伝統の男女双方のレパートリーを持つ歌手として知られています。ズビン・メータの指揮する名門イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団とも欧米で共演するなど大活躍してるんですが、普段は経理の仕事をしているそうです。でも、巨匠の心を捉えただけあって、何気なく歌う声が、とてつもなく美しい。日本式にいえば、「街角の美空ひばり」といったところでしょうか。
◇ギーラ・ベシャリ◇
 
――どんな歌声なんですか。
 
西洋音楽のグランドオペラで聞かれる、ベル・カント唱法とは全く違う。やっぱりアラブ音楽の薫りが濃い、逞しい声です。私は映画で彼女の歌唱を聞いて、衝撃を受けました。でもギーラはとても勉強熱心で、ベルカントを学ぶためにイタリア語を習ったり、大学の講座に通ったり。主婦でもあるので大忙しです。
 
――今回、取り上げる歌はどのような?
 
恋、失恋、家事などを歌ったものです。家で、例えば台所で料理をしながら祖母、母から娘、孫に連綿と伝えられてきた歌。こちらも口頭で伝えられてきたので、正確にいつ生まれたのか殆ど分からないんです。一昔前までのユダヤ社会は、イスラム世界と同様、女性の結婚は親が決めていた。10代もなかばになると、自分では好きな人が別にいても、知らない人と無理やり添わされる。そんな憾み・つらみを歌ったかと思うと、官能的な内容を盛り込んでみたり。心情的には「女子高生同士の会話」って言うのかな、女性としての喜怒哀楽が強烈に込められているのですが、時を経る中で言葉は洗練され、寓話的な姿に昇華されています。アラブやトルコは、韻律をもつ洗練された詩の文化を持っている。韻を踏んだり、形式が整えられたりで、芸術的な高みに達しているものが多いです。曲想は、暑く乾燥が激しい気候風土を映してか、情熱的でドライ。湿気が多く、日本育ちの私とは違う面があると思いますが、「女の真情」というのは、文化を超えて日本の方たちにも訴えるんじゃないかしら。
 
――西洋でいう、芸術歌曲とは異なる性質を持った歌といえるかもしれません。

 
自分たちを表現できる唯一のメディアだったのかもしれません。それが今はサロンやコンサートホールで、お金を払えばだれでもが聴ける音楽になってきました。ある意味で「サブカルチャー」が「カルチャー」になってきたとも言えるのですが、それと歩を合わせるかのように、かつての「舞台」だった家庭内では、この種の歌が徐々に歌われなくなってきているんです。一番大きな原因は、テレビの普及、と言われています。ギーラさんは民族衣装や料理などイエメンの伝統をとても大切にしていて、歌も保存しなくてはと、強く考えているようです。貴重な舞台ですから、ぜひ触れてほしいです。 
  

 
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ややま・くみこ
ユダヤ音楽・西アジア音楽研究者。
福岡県出身。国立音楽大学音楽学部・同大学院修了後、1992-93年エルサレムにイスラエル政府給費留学生としてヘブライ大学に留学。
1993年、アレッポ系ユダヤ人教会で出合った伝統歌唱に魅せら
れ、ヘブライ大学東アジア学科等で講師を務めながら研究に従事。2003年、この「アレッポ系ユダヤ人の歌唱伝統」テーマにした学位論文によりヘブライ大学よりPhD(博士号)取得。現在、東邦大学非常勤講師。東京都在住。 

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「ユダヤ人コミュニティ」について
世界のユダヤ人コミュニティは大きく3つに分けられる。1つは「アシュケナジム」と呼ばれるヨーロッパのユダヤ人。東欧に住むアシュケナージは、特に人気ミュージカル ≪屋根の上のヴァイオリン弾き≫で描かれたこともあり、日本人が抱く典型的なユダヤ人像として定着していると思われる。一方、西欧のアシュケナージは、『アンネの日記』で知られるオランダ人少女、アンネ・フランクが代表的な人物として知られている。2つ目は、アシュケナージと同様、ヨーロッパ起源のユダヤ人で「セファラディム」と呼ばれる人々。彼らは14世紀ごろまではスペインでイスラム教徒やキリスト教徒とも共存・共生し、繁栄の時代を謳歌した。しかし1492年、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)でイベリア半島を追われ、北アフリカ、オスマン・トルコの支配を受けていたギリシャや南イタリア、トルコや中東のシリアなどに移り住んだ。3つ目が今回来演する「ミズラヒム」。イラク、イラン、イエメン、シリアなど中東イスラーム世界出身の人々で、セファルディムの生活圏とも微妙に重なってはいる。ミズラヒムは、ユダヤ人コミュニティの中では最も古い音楽伝統や、祈りの形を保ってきたとされている。イスラエルのユダヤ人の中では、「ヨーロッパ=先進地」「アジア・中東=後進地」といった認識が支配的だった時期が長く、ミズラヒムの音楽は価値を評価されず、日本でも殆ど全く紹介されてこなかった。 

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