2館で楽しむ「20世紀音楽」対談
掲載日:2006年5月1日
ザ・フェニックスホールの人気シリーズのひとつ、レクチャーコンサートシリーズが2006年度からいずみホールと連携し、20世紀以降の音楽を紹介していきます。同シリーズの企画・構成を担当する伊東信宏氏(大阪大学助教授)と、いずみホールの室内オーケストラ〈いずみシンフォニエッタ大阪〉音楽監督の西村朗氏(作曲家)のふたりが連携企画プロデューサーとして二館に共通のテーマを設定、コンサートを展開します。本年度のテーマは、没後10年を経ていまや世界で愛される作曲家「武満徹」。ふたつのホールから発信する新たな音楽の楽しみ方について、お二人に語っていただきました。 (ザ・フェニックスホール サロン編集部)
◇大阪と現代音楽◇
西村「万博が強烈な記憶」
伊東「受容する土壌今も」
―大阪と「20世紀音楽」の相性をどうご覧になりますか?
西村 「関西に新たな刺激を」 西村:大阪では、1970年に万博が行われました。音楽に限らず、ありとあらゆる実験的な試みが行われ、世界中から第一人者が集まった。今思えば凄いイベントです。各国のパビリオンでは現代アートが誇らしげに発表され、西ドイツ館では、球形ホールの壁一面に500個ものスピーカーを取り付けて、シュトックハウゼン(注1)の音楽世界を実現していました。日本の企業館でも、音楽にレーザー光線を連動させた作品や、実験的な楽器が発表されていましたよ。当時は高校生でしたが、私も含め、みな現代アートに凄く生き生きと接しました。新しいものに対して全然否定的ではなかったですね。もう35、6年前の話ですが、大阪にはまだその記憶が残っているのではないかと思います。
西村 「関西に新たな刺激を」
▲西村 朗
伊東:僕は万博の時まだこどもでしたから、「現代アートを見た」という記憶は残念ながらありません。でも、大阪が現代音楽を受け容れる土壌なのかどうかと問われれば、潜在的にはそうした力のある土地だと僕も信じています。西村さんをはじめ、世界の一線で活躍する大阪出身の方はたくさんおられますし。無意識にブレーキのようなものがかかって現代音楽に対する関心が素直に表現されていないだけで、きっかけがあれば活性化するのではないかと思っています。
西村:そうですね。それに現代音楽には難解な印象がありますし。敬遠する向きがあるのも当然だと思います。ですがそうした前衛的な、聴衆を無視したような音楽が書かれたのは1950年代から60年代のこと。70年代以降には「新しさ」そのものの価値観が変容し、音楽作品は聴衆と無縁ではなくなりました。美的価値だなんだと難しいことを言う人もいるけれど、音楽の価値なんて聴き手がそれぞれ決めれば良いんです。僕は、現代音楽は難解だというイメージを持っている方、あるいは逆に難解なものに出会いたいと思っている方、双方に応えていきたい。内容には自信があります。あとは、聴きに来ていただくための努力をしなければいけません。その努力の一環として、このふたつのホールの連携企画があります。ひとつのテーマを追って、それぞれの機能性を活かした企画で連携していく。音楽にとどまらず、他の芸術とのコラボレーションに発展するかもしれません。
伊東:共感するのは、「現代音楽」はかつて前衛を競った芸術ではもうないということ。西村さんのような作曲家を前にして言うのは勇気が要りますが、僕は「芸術作品」そのものの存在も危うくなっていると思うのです。つまり、ある作品が作曲家とは別個の存在として向こう側にあり、聴き手はその作品をこちら側に座って聴く、という関係自体が成り立たなくなっている。でも僕は、音楽が「芸術作品」としての関係性を保ち続けるあいだは、きちんと対面していたい。それが僕にとってのレクチャーコンサート。でも作曲家にとっては、解説やコメントをつけられながら自分の作品が聴かれるのは正直迷惑なのではと思うのですが、いかがでしょうか(笑)。
西村:それは音楽のタイプによるでしょうね。作曲家の意図を知ることで、鑑賞しやすくなる音楽もあります。しかし時には邪魔になる。言葉にならないところから感情を吐露するような音楽に、言葉はいりません。また、あまりに具体的で文学的な説明は、鑑賞をある方向に誘導し過ぎて、個人それぞれの自由な聴き取りを損なってしまう恐れもあります。
伊東:そこには言葉の性質という問題もありますね。
西村:そう。音を聴き感じ取る脳と、言葉を聞き感じ取る脳は違うと思うんですよ。
伊東:それは僕も実感としてあります。
西村:両方の脳を働かせることが向いている音楽と、片方に集中したほうが良い音楽がある。だけど、聞く/聞かないは聴き手の自由。聞きたい人には情報の提供があるべきだと思います。特に現代の音楽は、自立性を少し損なっているところに妙味がありますから。現代音楽を絵画に例えると、額縁に納まった立派な絵じゃないんですよ。もしそれが美術館に置かれていなければ、アートかどうかすらわからない。でも、この「自立していない」ということ自体が現代アートの特質でもあります。現代音楽というのは、作品に欠けている部分を聴衆が自分で補って楽しむもの。たとえば、美しい響きが続いているところに、関係のない音がギャ!と鳴る。聴き手によっては、そこに何かを感じます。実はその瞬間、その作品は鑑賞されたことになるんです。何かに気がつくおもしろさ。レクチャーなら、そういうところを強調することもできますね。
伊東:そうですね。でも、この連携の企画ではレクチャーがすべてではありません。演奏や言葉、映像などさまざまな方法で現代音楽が鑑賞できると思っています。
◇私の「武満」体験◇
西村「重みを感じた一言」
伊東「『官能』恐れて逃避」
―本年度のテーマ、武満徹への思いを。
西村:60年代に自分が曲を書くようになって、武満さんは世界最高の作品を書く人だと確信を持ちました。そのあと実際にお話ができるようになったのは80年代。気軽に接してくださいました。でも僕は精神的には直立不動!言葉が出ないくらい怖かった(笑)。僕の書いた譜を見てくださって、「音を減らしなさい」。「これ以上減らせません」……だって減らしたら武満徹になっちゃう(笑)。「君はアジアのことをやりなさい。僕はヨーロッパのことをやるから」。「君のヘテロフォニーは、ありゃホモフォニーだよ」と言われたことも(注2)。でもこの一言をきっかけに僕は自分のヘテロフォニーについて考えるようになった。それまで無防備だったのが、意識的に書くようになったんです。また、ある日電話をいただいて、怒られるんじゃないかと思って伺ったら、僕の曲を「すばらしい」と一言。もう死んでも良いと思いました(笑)。褒めてくださる時でもわざわざ怖い顔をしたりしてね。一挙手一投足、ひとつの言葉、僕にとっては重みのあるものばかり。だから、僕は武満さんを客観視することができないんです。
伊東「将来は音楽祭目指す」
▲伊東 信宏
伊東:僕はどっちかというと武満音楽から逃げ回っていたほうです。初めて聴いたのは高校生の時。《ノヴェンバー・ステップス》*に凄く惹かれた。でもこのままのめりこむとやばいんじゃないかなという気がして、それからわりと距離を置きました。当時僕は、西欧の楽曲分析のような「型」に基づいて音楽を理解する方法を身につけることを意識していた。その時もそんなことを考えて、本能的に避けたのだと思います。でも、死ぬまでにはきちんと浸ってみたいですね。
◇今後の可能性は◇
西村「楽しむ視点を提示」
伊東「興味を呼び覚ます」
―連携企画はどのような「場」になるのでしょうか?
西村:鑑賞する視点・視座を開発するような場でありたいですね。新しいものをどう聴くか、どう楽しむか。そうした視点が創造される試みにしたい。そしてそれを言葉にすることで、聴衆とできるだけ共有したいですね。
伊東:同感です。美術の世界では学芸員がある一つの視点から選んだ作品をずらっと並べて展示を行うことが多くありますよね。こうしたことが音楽の世界ではなさすぎるという気がするんです。でも、それがいま求められているのではないかと思う。
西村:たとえば「旋律(メロディ)を発見する」というテーマなどは、アイデア次第でいろんな作品を聴くことができますよ。抽象的な現代作品のなかにメロディが発見できるかもしれない。そもそもメロディとは、人格みたいなもの。武満さんの初期の作品に《アーク(弧)》*がありますが、抽象的な音響のなかに、わずか一瞬官能的なメロディがふわっと聞こえてくる。風景が写っている映像に、一瞬人が写るのとおなじです。人が写っていると、見る者とその人とのあいだに関係ができる。場合によっては惚れ込んだり、魂を吸い取られるかもしれない。一見風景だけのような音楽もありますが、もしそこに人がいるとしたら。一回発見すると、その時点から作品との関係がまったく変わります。注意を促さなければメロディを発見できないこともありますから、そこへ導いて、ちょっとここ見てください!と。
伊東:良い指揮者がそうですよね。いままで全然見えていなかったものが、ちょっと指差しただけではっきり聴こえてくる。それがとても魅力的、ということがあります。
西村:そうです。武満さんの作品がそのほかの現代音楽と一線を画すのは、音楽のなかに人間がいるからですよ。その人物に魅了され、やがて抜き差しならなくなる。だから、武満の音楽は「危険な」音楽なんです。
―伊東先生はその官能性に溺れることに生理的な恐れを覚えたのでしょうか。
伊東:ああ、僕は溺れるタイプですから自らを律して(笑)。今思えば、武満音楽をとても感覚的に捉えていましたね。
―連携企画の今後について。
西村:今回の経験が次に活きるようなかたちを考えていくべきだと思います。文化的な新たな刺激を関西地域に提供できれば。自己完結せずに、多くの問題を抱えながらやっていきたいですね。多少の無理をすることに喜びがあり、次へのヒントが隠れていますから。
伊東:そうですね。この連携はいろいろな可能性を持っていますから、良いアイデアを出してできるだけ良いものにしていきたいですね。そしていつしか周りを巻き込んで大きなものになっていけば。気がついたら音楽祭に発展しているかもしれませんね。
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武満徹(1930-1996)
東京生まれ。日本の現代芸術を代表する作曲家。1950年ピアノ曲《2つのレント》でデビュー。57年に発表された《弦楽のためのレクイエム》がストラヴィンスキーに賞賛され、以後、国際的に注目された。作曲活動に加え、さまざな芸術活動に携わり、70年の大阪万博では鉄鋼館音楽ディレクターを務めている。
《ノヴェンバー・ステップス》
67年。琵琶と尺八とオーケストラのための作品。西欧音楽に日本伝統音楽を対峙させた記念碑的作品。ニューヨーク・フィルハーモニック委嘱作品。
《アーク(弧)》
63-76年。ピアノとオーケストラのための作品。演奏時間45分もの大曲。
(注1)カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-)
ドイツ生まれの作曲家・理論家。1957年に人声と電子音を組み合わせた《少年の声》を発表、世界の注目を浴びる。その後20年にわたり電子音楽のパイオニアとして西欧の作曲界をリード。70年の大阪万博では、西ドイツ館音楽ホールの監修を務め、新作を含めた自作の連続演奏会を行った。
(注2)ヘテロフォニーとホモフォニー
ともにメロディに関する作曲技法を指す。ヘテロフォニーは原始の音楽に発し、それぞれ独立した複数のおなじメロディを重ねていく技法。生じる和声が協和音かどうかは意識しない。ホモフォニーはひとつのメロディに和音の伴奏を付していく技法。18世紀古典派から19世紀ロマン派の時代に隆盛した。
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