ジャパン・ストリング・クヮルテット・アルファ インタビュー

掲載日:2004年11月1日

▲中村 静香(ヴィオラ)

 桐朋学園大学音楽学部卒業。全額スカラシップを受け米アスペン音楽祭参加。文化庁芸術家派遣在外研修員としてジュリアード音楽院留学。第52回日本音楽コンクール第1位、増沢賞・レウカディア賞・黒柳賞受賞。第29回海外派遣コンクール特別表彰。第3回日本国際音楽コンクール入賞。故・鷲見三郎、海野義雄、小林健次、川崎雅夫、故ドロシー・ディレイの各氏に師事。N響、東フィル、都響などと共演。桐五重奏団、水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバー。ソリストとしても活躍中。 
 
 

 

12月15日の公演に登場する「ジャパン・ストリング・クヮルテット(JSQ)」。第1ヴァイオリンの久保陽子さんとチェロの岩崎洸=こう=さんは、チャイコフスキー・コンクールをはじめ世界のさまざまな国際コンクールに上位入賞した経歴を持ち、主にリサイタルやオーケストラとの共演などに活躍するソリスト。一方、ヴィオラの菅沼準二さんは、日本の弦楽四重奏団の草分け・巖本真理弦楽四重奏団で10年以上活動、その後N響の首席奏者を歴任、また第2ヴァイオリンの久合田さんもソリストとして活躍した後、自ら弦楽四重奏団を主宰するなど室内楽に軸足を置いてきた、共に「アンサンブルの職人」。4人の猛者は1994年以来、活動を重ね、ザ・フェニックスホールへの出演も早7度目。今回は菅沼さんが病気療養のため、中堅実力派として評価を得ている中村静香さんが代役を務める。幸い、これまでJSQのメンバーと共演した経験が豊か。妥協を許さず、即興性に富んだ、JSQならではの演奏が今回も期待できそうだ。練習に打ち込むメンバーを東京に訪ね、中村さんの代役起用の経緯やJSQの持ち味などを聴いた。
(構成 ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

今回のピンチヒッター中村静香さんについて、皆さんからご紹介ください。 
 
久 保 夏の終わりに菅沼先生が体調を崩され、フェニックスでの公演を念頭に回復を待つ中で、彼女に声を掛けました。彼女には、私と夫(弘中孝さん、ピアノ)が主宰する桐五重奏団で、15年前から第2ヴァイオリンを担当してもらっています。(小澤征爾さんが音楽監督を務める)水戸室内管弦楽団のメンバーでもあり、3年前、ヴィオラ奏者が足りなくなった際、ヴァイオリンから持ち替えてみたんです。ソロも少し弾いたんですが、本当に素晴らしく、印象に残った。彼女の師匠は、ヴィオラの店村眞積さん(京都出身。N響ソロ首席奏者)。この時は、彼の楽器を借りての演奏でしたが、舞台の後にはもう「楽器を買いたい」と言ってました。物心ついた頃からヴィオラの音に親しんでいたことは、音楽性形成の面で、大きな要素だったと思います。去年は大垣音楽祭(岐阜)でバッハ≪ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV1051≫のヴィオラ独奏(2人)を店村さんと分け合い、本格的にヴィオラ・デビュー。 今年も師匠の代役で、難曲として知られるドヴォルザーク≪弦楽五重奏曲第2番ト長調op77≫を弾いて、評判を取りました。

 
久合田 私は木曽音楽祭(長野県木曽福島町)や倉敷音楽祭などでご一緒したことがあります。ヴァイオリニストとして素晴らしい演奏家ですし、感性面でも(ヴィオラが受け持つことの多い)内声部に対するセンスが光っている、と思ってました。人柄も優しいし、すらっと背が高く、ヴァイオリンより一回り大きなヴィオラを操る上で体格も十分。陽子ちゃんと長く活動してることもあって、音楽的に違和感がないのは有り難い。私たちと弦楽四重奏を組むうえでの条件を、全て備えていると思います。
 
岩 崎 僕より年代は若いけど、同じ桐朋出身で、サイトウ・キネン・オーケストラでも弾いていますね。演奏時に「同じ言葉」を話している気がします。僕が音楽監督をしてる倉敷音楽祭には18年も前、大学を出た頃から加わり、故・朝比奈隆さん(大阪フィルハーモニー交響楽団前音楽総監督)が指揮したベートーヴェンの交響曲全曲演奏にも加わってきた。姉(淑=しゅく=さん。ピアニスト)と共に主宰していた「沖縄ムーンビーチ・ミュージック・キャンプ&フェスティバル」にも参加していて、馴染みのある演奏家です。 
 
メンバー「お墨付き」の助っ人ですね。
 
中 村 水戸室内管絃楽団の公演でヴィオラを携えて舞台に立ったのは、学生時代以来初めてで懐かしかったです。今は、あらゆる面でヴィオラという楽器をとても気に入ってしまったので、演奏している時は本当に幸せ。私、実はJSQ創立の頃から何度もコンサートに通ってきたんです。ソリストと室内楽のエキスパート、共にベテランの方々による弦楽四重奏団で、最初は正直なところ「どうなるのかしら」という好奇心もありました。私自身は、継続的に活動する弦楽四重奏団を組んだことはなく想像でしかないのですが、室内楽って三重奏までなら、それぞれがソリスト的なアプローチで音楽性をぶつけ合っても形にはなる。けれど四重奏だとそうはいかない。一時的な"寄せ集め"では、充実した音楽づくりは難しい面があると思います。その点、JSQは演奏が本当に素晴らしい。10年も活動が続いていること自体、とてもステキなこと。お誘いをいただいた時は驚きましたよ。憧れの、大御所のグループですから。 
 
弦楽四重奏の独特の難しさですね。活動をされてきた立場からは如何でしょう?
 
久 保 歴代の弦楽四重奏団を見てみると、第一ヴァイオリンやチェロのソロをキチンと弾いている方はたくさん居られます。でも、ソリストとしての活動と弦楽四重奏団の活動を、継続的に両立、並行しているケースは、私たちのほかには見当たらないように思います。このことは弦楽四重奏の難しさを象徴しているんじゃないかしら。 
 
久合田 グァルネリも、ジュリアードも、アルバン・ベルクも、高名な弦楽四重奏団の音楽づくりには多かれ少なかれ、「職人気質」の要素がある。弦楽四重奏の膨大なレパートリーをこなすためには、欠かせないんです。私や菅沼先生はJSQ以前から「職人」的に、音程にせよ、テンポにせよ、旋律の歌い方にせよ、すごく細かい所までどう合わせるか、何十年も積み重ねてきたんです。ただ、これだと演奏の精度は確かに高いんだけど、「型」になってしまいがち。即興性が少なく物足りない。でもJSQは違う。陽子ちゃんと洸さんは、ふだん協奏曲の独奏を弾いてる。少々細かいことには目をつぶっても、「この部分はこう弾きたい」「ここでは絶対こうしたい」っていう、明確な主張を込めて自由にアプローチしてくる。それは、私たちが置き去りにしがちな部分でしたから、一緒に弾いてると新鮮で、とてつもなく面白い。ただ、弦楽四重奏の全員がこうだと、また合奏は崩壊しちゃう。例えば、ある箇所で洸さんはタップリ弾きたいし、陽子ちゃんは前へ進みたい、とする。私と菅沼先生は、何となく合わせるんです。時には一方をやや立てて、時には共に良い顔をし過ぎないように。2人には睨まれる。でもそこは阿吽(あうん)の呼吸。妥協点を示しながら、付かず離れず関係を保って、音楽の基盤を作る。「職人」と「ソリスト」―。実際には皆が両方の性格を併せ持っていますが、こう説明すると私たちの音楽づくりを分かっていただけると思います。 
 
正に絶妙のバランス感覚ですね。でも「ソリスト」側にとってはタックルみたい?
 
岩 崎 特に最初の頃はもうそればっかりで(笑い)。 

久 保 自分の思うようにはなかなか弾けないなって(笑い)。

岩 崎 だけどね。今は、何とか融合点を見つけられる。自分が正しいと言いたくなる時もあるし。他人が正しいと思うこともある。最初の頃、菅沼先生がリハーサルで開口一番「弓使いどうする?」て聞いてきたことがあった。先生にしてみたら、弓使いを揃えれば、きっちりした音楽づくりのメドは立つ。ところが僕や陽子ちゃんは、そんなの本番直前でも変わるかもしれないわけです。それほど、アプローチが違った。

久合田 職人は、曲の要所要所で、演奏を引き締めようとするのよ。練習の時、菅沼先生は、わざと足でリズムをとり、何とか4人の「縦の線」を合わしておこうとするんですが、陽子ちゃんや洸さんは、「横」に流れる旋律を伸び伸び奏でたい。いきおい「縦」にはあまり頓着しない。リハーサルでは揃ってても、本番になると、お2人は熱中のあまり様子が変わる。でも、そんな音楽性を私と菅沼先生は愛してますから、何とか合わせようと試みる。でも及ばず、瞬間的には演奏が破綻してしまうこともあります。実はそれこそが、JSQの面白さでもあるんです。そんな日は、楽屋から出た後、菅沼先生と2人肩並べて歩きながら「いやはや。今日はホント、大変だったねぇ~」なんて言ったりして(笑い)。本番の面白さは、ホント絶対「世界一」よ。

「ソリスト」と「職人」。まさに取り合わせの「妙」ですね。

中 村 JSQは、その比率が2:2でちょうど良いのじゃないでしょうか。

岩 崎 JSQやっていなかったら僕、かなり違った演奏家になってたかもしれない。ソリストとしては以前、「独りで上手く弾いてお客様に聴いていただけたら、それで十分じゃないか」と考えてた。でも、4人一体でつくる弦楽四重奏曲は、ほとんど全く未知の世界。やっぱり興味があった。その点、菅沼先生は大先輩。長年、蓄積してきた知識や経験、「型」や「コツ」が、いっぱい詰まってる。僕が先生の影響をどれくらい受けるか。逆にこちらのアプローチを菅沼先生にぶつけてみて、先生がどう変わるか。本当に面白いですよ。

久 保 あんまり突拍子も無いテンポで弾くもんだから、菅沼先生、いろんなレコード聴いては、紙にテンポの速度書いてきて「これがスタンダードだゾ」なんて言ったりね。

久合田 本当はそんな方じゃないんですけどね。ソリスト2人相手に「少しは理論武装しとかないと」と考えてらっしゃるのかも。 

岩 崎 こっちも対抗して、自分の言い分に都合の良い演奏を探して聴かせたりね。むろん他の演奏を真似するわけないんだけど、いろんな解釈に耳を傾けるようにはなった。

久 保 テンポはもちろん、あらゆることがそんな調子。私たちそれを続けてきたのね。

久合田 そんな音楽づくりは、きっと菅沼先生にも喜びなのよ。JSQを始めた頃、「僕、何だか生まれて初めて弦楽四重奏やってる気がする」ってよく言ってらっしゃった。

岩 崎 それと僕、陽子ちゃんとは12、3歳のころから合奏してて、音楽観はかなり共有してると思ってたんだけど、JSQで弾いてると、いつもと違う彼女の側面が浮かんでくる。おもしろいね、コレ。

久 保 それは、お互いそう。「なんで、あんなこと言うんだろ」って思いながら帰っても、一晩寝たら「ふふん」と納得できる。出来ないことも結構多いけど…(笑い)。
 
久合田
 一緒に演奏旅行してる時にも、前夜の演奏について話すこともある。。。

 
岩 崎 大体JSQはね、他の弦楽四重奏団なら口に出さないようなことも、言葉にして議論する。するとね、時々、大変なことが起こるんだなぁ。

久 保 瞬間的には「もう顔も見たくないわ、サヨウナラ。(扉を)バタン」ということも。でも、そこまで突き詰めて考えたことは結果的には、皆が分かるようになる。

岩 崎 やっぱり、一番大事なことをコミュニケーションしないと、欲求不満になる。我々は夫婦と違って、別に同じ家に帰るわけじゃないしね(笑)。一時的に頭に血が上っても、一緒に呑んで食べて2日もすれば、もう何も残らない。

久合田 "さざ波"は結構立ったけど「絶体絶命の危機」は、一度も無いと思う。

岩 崎 変な言い方かもしれませんが、メンバーを愛してますよ、僕は。これだけ練習を重ねてきたから、「もうどんなことを言っても大丈夫」という安心感がある。

中 村 それを傍から見てると、興味津々です。

JSQは一貫してベートーヴェンの作品に取り組んでいますね。東京での弦楽四重奏曲の全曲演奏は、既に2巡目。今回公演にも「セリオーゾ」が入っています。
 
久 保 元々、私たちはオールマイティの弦楽四重奏団として売り出すというより、あくまで「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を本格的に研究してみたい」という動機から始まった。年を経るごとに、演奏の回数を重ねるごとに、ベートーヴェンの音楽っていうのは深さを増してくる。そのことが楽しくて楽しくて、止められなくて活動続けてるんです。
 
岩 崎
 僕は、JSQでベートーヴェンに取り組んで、初めて「作曲家の人間像を知りたい」と思うようになった。最初に合奏した時は、現代音楽弾いてるみたい。さっぱり分からなかった。彼の音楽には、人生観や音楽観、神への思いといった個人的な要素が如実に反映されている。しかもそれは初期、中期、後期と年齢を経るに従って変化する。あれほど「人間」を音楽に込めた作曲家は、あの時代には居ない。本を読んだり、彼が生きた時代を調べたり。それらを知らなければ、音楽って出来ないものなんだ―と悟ったよ。

久 保 単に音をそのまま弾いても「色」が出てこないと、「おや? 私、違った箇所を弾いてるのかしら」って不安になる。それを解消するために、あれこれ考える。ホントその繰り返しよね。これだけベートーヴェンをやってくると、彼以外の音楽をつくるのは、とっても楽。ソロの作品でも同じ。不安を克服する中で培ってきた、ある種の自信なのかもしれない。いろんなものへの「畏(おそ)れ」が、消えてきたということかしら。

岩 崎 僕の場合は、逆に「畏れ」を知ったっていう面もあるよ。演奏家は楽譜に書かれた音をたやすく弾いてしまうけど、作曲家は考えて考えて、大事に、それこそ精神込めて一音ずつ書いてるわけでしょ? 日本やアメリカで学生を教えてるけど学生には「楽譜を無意識に弾くな」って言ってるんです。

久合田 私も「楽譜が読める」ようになった。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタだけやってたんじゃ分からなかった意味が、弦楽四重奏の経験を通して「あッ、そうだったのか!」と、見通せるようになった。ベートーヴェンは、必要の無い音符は一つも残してない。ある箇所に、どうしてこの音が置いてあるのか―。今は、いろんなことがピンと来る。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲演奏は、これからも長く続けていきたいわ。

最後に今公演に向けた豊富を。
 
久 保 演奏会というものは、何ものにも代えがたい神聖なもの。そんな気持ちを音に込めて、お客様に伝えたいですね。そのためには本番までに非常なアプローチが必要です。

久合田 今回、静香ちゃんにピンチヒッターをお願いした経緯はありますが、板(舞台)の上ではそんな事情を抜きにして、音楽そのものに向き合いたい。今までと同じような、スリリングで、しかも幸せな感じに浸りたい。良い練習を重ねて、頑張りたいですね。

岩 崎 僕は、どのコンサートに対しても、臨む気持ちは同じ。ただJSQには独特の面白さがある。常に新鮮で魅力的な演奏会に出来たらと思う。

中 村 大先輩の音楽づくりに加えていただける、得難い機会。どこまでのことが出来るか、やってみなければ分かりませんが、皆さんの力をお借りして、思い切り挑戦してみたいです。

本番を楽しみにしています。ありがとうございました。

japan2
 

▲ジャパン・ストリング・クヮルテットα  練習風景(2004年11月) 

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ジャパン・ストリング・クヮルテット

 1994年4月、ヴァイオリンの久保陽子と久合田緑、ヴィオラの菅沼準二、チェロの岩崎洸の4人は国際交流基金による日本文化紹介派遣事業の一環としてフランスと中近東を巡演し、各地で好評を博す。この結果をもとに翌95年、ジャパン・ストリング・クヮルテットの前身「クボ・クヮルテット」が結成された。彼らは創立時からベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏を目的に掲げて研さんを積み、95年から3年間、計6回にわたり定期公演を東京・津田ホールで行い、演奏の模様はNHKで放映されるなど、多くの室内楽ファンの注目を集めた。そして2000年、彼らはベートーヴェンの魅力の新しい発見を目指し、再び弦楽四重奏曲全曲演奏に挑み始めた。この活動を主軸に、異なる作曲家の弦楽四重奏の名作にも取り組んでいる。

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