ヴァイオリニスト神尾真由子さんインタビュー

掲載日:2003年7月1日

大阪が生んだ日本のホープが9月3日(火)夜、ザ・フェニックスホールの舞台に登場する。ヴァイオリニスト神尾真由子さん。全日本学生音楽コンクールを皮切りに、メニューイン国際、ヤング・コンサート・アーティスツなど海外のコンクールでも優秀な成績を収め、弱冠16歳ながら内外でのリサイタルや、オーケストラとの協奏曲などで着々とキャリアを重ねている。「話すよりもヴァイオリンを弾く方が楽」と言う彼女だが、訥々とした語り口からは、超一流の演奏家を目指す強い意志、静かな決意がはっきりと感じられた。1年半に及ぶニューヨークでの生活にいったん区切りを付けて今春、帰国、東京で一人暮らしをしながら音楽を学ぶ神尾さんに話を聴いた。

―――この4月から一人暮らしだそうですね。慣れましたか。
いま住んでいるのは音楽学生向け専用のマンションなんです。食事も洗濯も自分でやらなきゃならないので大変。学校は、長い日だと午前8時40分から午後3時50分まで授業。そのあと帰って、おやつ食べて、練習して、ご飯。また練習してお風呂に入って寝る。週日でも一日4時間は練習してますが、『ヴァイオリンだけじゃダメ』っていろんな先生から言われてきましたし、自分でもつまらないと思うので、友達と遊んだり、携帯でメール交換したりして楽しんでいます。音楽以外の勉強では日本史が好き。以前は(幕末の志士を描いた)『燃えよ剣』など司馬遼太郎さんの歴史小説が好きでした。今凝ってるのは東野圭吾さん(大阪出身の小説家。『秘密』で日本推理作家協会賞受賞)の作品かな。

―――神尾さんの中での、ヴァイオリンの位置付けは?
 やりたいから続けている、大好きなこと。私、人前で話すのは苦手なんですが、ヴァイオリンは自分の代わりにしゃべってくれる。演奏でなら、お客様に自分の言いたいことを確実に伝えられるんです。楽器は体の一部みたいなものですから、全然弾かない日が一日でもあると、手持ち無沙汰で仕方がないです。

―――東京の前は、ニューヨークのジュリアード音楽院のプリ・カレッジに通い、名教師として知られたドロシー・ディレー先生に就いておられたそうですね。
米コロラド州のアスペン音楽祭に参加した時、声を掛けていただいたのがきっかけです。ヴュータンやモーツァルト、パガニーニの協奏曲を見てもらいました。レッスンでは30分あるような長い作品でも、必ず一度通して弾くんですよ。終わると「ビューティフル!」って褒めてくださる。その時、とても素敵な笑顔なんです。技術的な、細かいことは何もおっしゃらない。それだけに緊張する面もあって、キチンと練習して行くようにしていました。今年3月に亡くなってしまい、本当に残念です。ニューヨークでは川崎雅夫先生にも教えていただきました。それまでは作品を感覚だけでとらえて弾くことも多かったですが、川崎先生に出会ったことで、曲を分析し、構成を考えて、音楽を盛り上げることも考えるようになりました。

―――これまで出会った音楽家で印象深い方は?
 五嶋みどりさん! 1996年、彼女のレクチャーコンサートに出演して奨励賞を受け、ご褒美にニューヨークのご自宅で特別レッスンをしてもらった。見てもらったのはサンサーンスの協奏曲第3番第3楽章。すごく厳しくて、細かな音符の音程の揺れ一つでも、決して許さないレッスンでした。初日、「もっと大きく、もっと歌って」と何度か言われたんですが、私として身に着けていた弾き方がありましたし、ちょっと強情なところもあって、あまり演奏を変えないでいた。そしたら先生が突然、部屋から出て行かれたんです。今思うと、私の演奏はやや平板だった。細かいところは見ていたんですが、先生はっと大きなフレーズを重視されていた。その日は帰り、「世界各地で、さまざまな曲を演奏してこられた先生のおっしゃることを、大切にしよう」と思いました。翌日からは、指摘通りに直し、演奏しました。とても喜んでくださり、それからは演奏会を聴かせていただくたびに、楽屋を訪ねたりしています。

―――協演した指揮者では?
ウラディーミル・スピヴァコフさんが思い出深いです。彼自身、有名なヴァイオリニスト。昨年ロシア・ナショナル管弦楽団との日本ツアーでチャイコフスキーの協奏曲を6回演奏した時、 舞台ごとに音楽的な課題をくださった。最終公演の前には1時間半レッスンを受けました。楽譜に書いて無い、微妙なアクセントやテンポの揺れなどを教えていただきました。あれこそが "本場"のチャイコフスキーへのヒントなんですね。

―――将来、どんなヴァイオリニストになりたいですか。
「お手本」ではないんですが、憧れているのは(往年の巨匠ヤッシャ・)ハイフェッツ。4歳で楽器を始めて以来、CDを聴き続けています。張り詰めた音と、歯切れ良い技巧は、彼だけのもの。私も、お客様が「もう一度聴きたい」って思ってくださるような、個性的 な演奏家になりたい。「私だけが弾ける音楽」で楽しんでもらいたいんです。そのためには、文学、映画、美術などいろんな勉強をしたい。しばらく日本で、日本語で音楽理論など学び、また留学もして経験を積み、将来は世界中で演奏してみたいです。

―――今回の演奏曲目について話してください。
メーンの、ブラームスのソナタ第3番は、3曲ある彼のソナタの中でも一番情熱的。若い自分にピッタリ合っていると思います。モーツァルトの変ロ長調ソナタ(K378)は以前CDを聴いていて自然に耳に入ってきた曲。細川(俊夫)さんの「ヴァーティカル・タイム・スタディ」は来年、ルーブル美術館でのデビューシリーズ公演で弾くことになっています。このシリーズは、必ず自国の現代作品を入れることになっていて、今就いている原田先生(幸一郎。桐朋学園大学弦楽科主任教授)から、勧められたんです。ラヴェルの「ツィガーヌ」は演奏会用として以前から挑戦したかった作品で、リサイタルでは初めて弾きます。ヴィエニアフスキの「ファウスト幻想曲」は、テクニックを聴いてもらうところも歌うところもあって、これも大好きな曲です。

―――フェニックスホールについて一言お願いします。
小学校の時、全日本音楽コンクールで1位になった場所ですし、1997年、生まれて初めて協奏曲をオーケストラの伴奏で全曲通して弾いたのもフェニックス。「思い出の舞台」に、久々に帰ってゆくことができるので、心から楽しみにしています。

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かみお・まゆこ 1986年、大阪・豊中市生まれ。4歳からヴァイオリンを始め、96年全日本学生音楽コンクール全国大会小学生の部第1位を獲得。同年、世界的ヴァイオリニスト五嶋みどりの主宰するレクチャーコンサートで奨励賞を受け、彼女からニューヨークで直接レッスンを受けた。 98年メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門で11歳で最年少入賞。 2001年1月には、アメリカのヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディションで、参加54カ国422人中第1位となる。97年、東京でデュトワ指揮の管弦楽団とラロの「スペイン交響曲」を協演しデビュー。以後国内主要オーケストラに独奏者として招かれているほか、2001年にはボストン、ワシントンでデビューリサイタルを開き、ボストン・ポップスやロシア・ナショナル管、プラハ・フィルハーモニーと協演するなど活動を広げている。近年ニューヨークに住んでいたが、02年から日本に本拠を移し、桐朋学園の特待生として研鑚を積んでいる。02年春「アリオン賞」受賞した。

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