歌三線の魅力~比嘉康春さんインタビュー

掲載日:2002年5月1日

今年8月、ザ・フェニックスホールは『琉球音楽~歌三線(うたさんしん)の魅力』のコンサートを世界一周音楽の旅シリーズの一つとして開きます。荘重な琉球古典音楽から軽快な島唄までたっぷりと聴くことのできる、またとない機会になりそうです。出演者のお一人で、沖縄古典音楽界を代表する比嘉康春さん(野村流古典音楽保存会・師範、沖縄県立芸術大学助教授)に琉球音楽の魅力について話していただきました。


―――琉球音楽はどのようにして沖縄に生まれたのでしょうか?

15世紀以前、中国から三線が伝わる以前の沖縄では、祭祀の場で手拍子や太鼓に合わせた原初的な歌が歌われていました。三線が伝わり、古い時代からの祭祀歌と入り混じって歌三線の琉球音楽が生まれたのです。
琉球音楽は大きく分けると古典と民謡の二つです。古典は簡単にいうと、宮廷音楽。沖縄本島や奄美、八重山などで歌われる古謡などが基です。16世紀から17世紀、琉球王府のもとで洗練されました。主に中国からの使節、冊封使をもてなす歓待芸能として、さらに上級士族の教養としてたしなまれ、発展しました。現在約240曲が、『工工四(クンクンシ-)』という楽譜にまとめられ伝承されています。
民謡は庶民の生活の中から生まれた、流行歌的なもの。時代とともに新しい歌が作られ、全部で7000曲以上にのぼるでしょう。民謡は最近では"しまうた"と呼ばれておりますが、この呼び方は80年代前半から、沖縄のアイデンティティを強調する意味もあってラジオ番組などを通して広まったものです。民謡は時代の多様な音楽の影響をうけます。リンケンバンド、ネーネーズなどご存知の方は多いでしょう。新しい沖縄ポップスも、古典音楽の延長線上にあります。彼等の父や祖父は琉球古典音楽の音楽家や民謡の有名な歌い手で、こうした音楽の上に彼等の作品はあると思います。古典音楽は一つの規範性と共に伝承されますが、民謡は比較的自由で歌い手の個性が強調されます。

―――沖縄で琉球音楽はとても親しまれているんですね。

  沖縄には、琉球古典音楽や民謡を教える『研究所』がたくさんあります。沖縄県の人口は約130万人ですが、三線は30万丁以上もあると言われています。また、三線は家宝のように扱われることもあり、床の間に飾られたりもします。
歌三線を中心とする芸能は私達の生活に深く浸透しています。新築や結婚式のようなお祝い事には欠かせませんし、お墓を建てるときや最近はお葬式でも歌三線の演奏を望む人もいます。40代以上の方に歌三線を習う方が非常に多く、いわば沖縄人のアイデンティティのひとつです。歓待芸能として、宮廷で発展した琉球古典音楽が、庶民に浸透したのは古い祖先以来の素朴な感情や思いが我々の血の中にあり、それが自然に歌三線に向かわせたからではないでしょうか。

―――比嘉先生自身の歌三線をはじめたきっかけを教えてください。

私は19歳のとき、歌三線の世界に入りました。一般的には30代、40代に始める人が多いので私は早いほうです。
私達の世代は戦後の共通語励行の教育を受け、沖縄の方言をあまり使わずに育ったので、古典音楽や民謡などを蔑視する気持ちが少しありました。だから興味ももっていなかったし、当時、同世代で三線を弾く者はほとんどいませんでした。
高校時代に腰を痛め、卒業と同時に治療のために大阪の大学病院に行きました。2か月間、伯母の家に世話になっていたのですが、沖縄から独りで離れたのは初めてで、郷愁にかられ、偶然その家にあった1枚の琉球古典音楽のレコードをこっそり聴いたのです。それまでなんとなく避けていたはずの古典音楽を聴いて涙があふれだしてきました。故郷を離れて初めて自分の血の中に琉球民族の情感が宿っていることを感じました。
治療を終え沖縄に帰ってきてからも三線の音が頭から離れなくなりました。それまで大学進学も考えていたのですが、大学にはいかず歌三線を習うことに決めました。親は反対しましたけれど、ある公社で仕事をしながら、古典音楽の師匠に就いて正式に習うようになりました。それからは毎日、三線を中心にして生活してきました。

―――歌三線のどんなところに魅力を感じますか?

 『歌三線』という言葉が示すとおり、三線が弾けても歌えないと本当の意味で『三線を弾ける』とは言えないのです。あくまで歌が主であり、三線は伴奏楽器です。三線を弾くだけなら比較的簡単です。それほどの技巧が必要なわけでもないのです。でも歌(声)と絃とで綾をなして、ひとつの音楽をつくっていくことに難しさがあります。これを絃声一体といい、歌三線の真髄です。また『思い入り』といって、歌詞の意味を十分に理解し、感情、思いをこめて歌うことが一番大事です。
昔の沖縄には沖縄言葉で書いた文学がなかったため、文章で書き表すかわりに、自然をめでる、世相を詠む、そして恋愛感情などを表す手段が歌だったのです。ですから歌に対する『思い入れ』はとても強いのです。しかも、演奏家が自然体で自分の人生を素朴なままに歌に込めることが求められるのです。歌三線は、自分自身や自然と向き合う、そんな精神的傾向が強いのです。
17世紀初期に琉球王国が薩摩藩の支配下に置かれた後、本土との交流が頻繁になり、能や歌舞伎、万葉集や古今和歌集などの本土文化の影響を受けるようになりました。和歌は5・7・5の韻律からなりますが、沖縄の歌といわれる琉歌は8・8・8・6の韻律から成り立っています。中には、今回のプログラムに入っている『仲風節』のような和歌と琉歌が両方入ったものなどもあります。

―――最後に今回の公演についてお聞かせ下さい

歌三線は、私達の生活のなかではとても身近で、特別な音楽ではありません。しかし、本土の方にはなかなか馴染みがないでしょう。今回、1部は、演奏される機会の少ない『作田節』をはじめ、静かで素朴な感情を表現した古典音楽の斉唱と独唱、さらに琉球箏曲など荘重な琉球古典音楽の調べを聞いていただこうと考えています。
2部では、古典音楽のユッタリとした雰囲気とはうってかわり軽快で情趣豊かな島唄のほかに笛、胡弓、太鼓など琉球楽器の音色をじっくりと聴いていただき、歌三線の賑わいを存分に楽しんでもらえるようにします。まだ琉球音楽に触れたことのない方にも是非聴いていただきたいですね。

≪活動の歩み≫

 ひが・やすはる 1953年生まれ。19歳から本格的に沖縄三線をはじめ、安富祖竹久・元野村流古典音楽保存会会長に師事。20代前半から舞踊、組踊りの地謡を中心に舞台に出演、県内外の主な沖縄伝統芸能公演をはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど20カ国で公演に参加。名実ともに沖縄の古典音楽界を代表する実力者。98年、比嘉康春独唱集(CD3枚組55曲収録)リリース。99年より沖縄県立芸術大学で歌三線の指導にあたっている。