Prime Interview ライナー・キュッヒルさん

2014年11月、ティータイムコンサートに登場ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター

掲載日:2014年2月5日

変幻自在のリーダーシップ

「世界最高のオーケストラ」を問われて、オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名を挙げる人は少なくないだろう。1842年、日本でいえば幕末の天保13年、ハプスブルク帝国宮廷歌劇場(現・ウィーン国立歌劇場)のメンバーが興した演奏組織がルーツ。事業計画をはじめとする芸術的側面をはじめ財政的、組織的に自立を重んじ、民主的な運営精神をこんにちまで継承。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスなどウィーン古典派やロマン派の演奏はとりわけクラシック音楽界のスタンダードをなしてきた。そんな名門の「顔」として知られているのがヴァイオリニストのライナー・キュッヒルさん。ヴァイオリンを始めたのは11歳とやや遅めだったが、才能を顕し1971年、弱冠21歳でコンサートマスターに就任。以来40年近く、誇り高い楽員を率いてきた。4人のコンサートマスターの中でも最長キャリアを誇り、弦楽四重奏団や室内アンサンブルも主宰。抜群のリーダーシップを発揮する名伯楽でもある。今年11月のティータイムコンサートに登場、ウィーンゆかりの作品を披露する。来日公演などで忙しい中、メールでお話を伺った。
(構成:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

 

 

 -11月のプログラムにはウィーンゆかりの作品が並んでいます。まずベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」やモーツァルトのソナタ(K378)は、古典中の古典。あなたにとってどんな作品ですか。

 

 共にヴァイオリン・ソナタの代表作であり世界各国で、数多くの演奏家が演奏しています。こうした真の「名曲」を皆様にお聞かせするのは、大変幸せなことです。

 -恐らく繰り返し何度も弾いておられ、とても馴染みがあるでしょう。その分、毎回、新鮮な気持ちで演奏をするのは大変ではありませんか。

 

 私はCDではありません。同じ曲をたとえ1千回弾いても、その時々で色々な発見が生まれるものなんですよ。毎回同じように弾くのは、本当の音楽家とは言えません。音楽家にとって大切なことは何か。常にフレッシュな気持ちで演奏すること。そして作曲家の意思を追求し続けること。そのために常に、楽譜を読んでいます。同じ譜面を何回読んでも、私は飽きません。様々な楽想が浮かんでくるのです。

 

 -ウィーン情緒に富んだ、クライスラー(*1)の小品も演奏されますね。既に没後50年を過ぎましたが、現代において彼の作品を演奏する際、彼の音楽を通じ容易に聴衆とコミュニケーションすることは出来るでしょうか。

 

 彼の音楽を通じて聴衆とコミュニケーションするのは、不可能に近いでしょう。ただ、私がクライスラーの残した楽譜とまずコミュニケーションをし、そこで得たインスピレーションを皆様にお伝えすることはできるかもしれません。それが私の使命です。指使いを変えるなど、いつも研究を重ねているのです。

 

 -20世紀前半に活躍した作曲家プフィッツナー(*2)のヴァイオリン・ソナタも演奏されます。第2次大戦後に彼が貧困にあえいでいた時、財政援助をしたり、亡くなった折にも埋葬をするなど、ウィーンフィルとは深い結び付きのある芸術家でしたね。

 彼の音楽はドイツ・ロマン派の最高峰の芸術性を持ち、極めて抒情的で、同時に力強い。ウィーンフィルは、彼の音楽を高く評価していました。プフィッツナーは代表作のオペラ《パレストリーナ》のスコアを楽団に寄贈しています。楽団が彼を助けたのは、人道的理由からだったと思われます。彼の作品は演奏の機会が多いとはまだいえませんから。ぜひ聴いていただきたい。

 

 -あなたが21歳の若さで、格式あるウィーンフィルのコンサートマスターになられたのは驚きです。これまでのお仕事で修得された、指揮者と楽団の狭間で果たす役割を教えてください。
指揮者の役割は何よりもまず、オーケストラを一つにまとめる以外の何物でもありません、特性を活かし、作曲家の意思に忠実な音を楽員から引き出し、まとめる。それが彼の課題です。一方、コンサートマスターの役割は、指揮者と楽員の仲介役とでもいえるでしょう。ベルリンフィルでもニューヨークフィルでも恐らく、それは同じです。私は、皆がまとまって良い音楽を生み出す点に賭けていて、それを念頭に指揮者とのやり取りを心掛けています。近年、私も年長組に入りました。経験を若い楽員に伝えることも、もう一つの役割になってきました。

 

 -キュッヒルさんは室内楽に、とても積極的ですね。オーケストラで演奏する時、室内楽を演奏する時、今回のようにソリストとして演奏する時で、心持ちは違うものでしょうか。

 

 形態によってもちろん、演奏の仕方は違いがあります。でも音楽的には、作品ごとに作曲家の意思、つまり楽譜に従って彼や彼女が、何が言いたいか、どんな音を連想して書いたのかを常に研究を重ねて演奏することに、変わりはありません。

 

 -指揮者の居るオーケストラに比べ、室内楽は、個々の演奏家の自発性がより強く求められます。それを束ねるには何が要りますか。

 

 室内楽では奏者一人ひとりがソリストになった気持ちで演奏し、さらに仲間と合わせなくてはなりません。この二つを高度に両立出来るか否かが、演奏の質を決めます。大変、難しいテクニックで、三重奏は三重奏なりに、四重奏は四重奏なりに息を合わせる努力が欠かせません。室内楽はむろんオーケストラより演奏者が少ないのですが、こんな事情もあり、室内楽のリーダーシップもオーケストラと同様に大きなエネルギーが求められますし、また共演者同士の音楽性が共通していないと、なかなか合わせにくいものなのです。

 

 -その点、今回、共演されるピアノ加藤洋之さんとのデュオは素晴らしい取り合わせですね。楽友協会でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを全曲演奏されました。

 

 カトーサンとは、演奏前にあまり細かい打ち合わせをせず、その作品によっては「あ・うん」の呼吸で演奏が出来、とても楽しいです。私はリング・アンサンブルやウィーンフィルの仕事などで過去40年、近辺の京都や宝塚なども含めて関西で何回か演奏してきましたが、大阪でリサイタルを開いたのは記憶にありません。皆様にお会いできるのを、とても楽しみにしています。

協力:キュッヒル真知子

 

(*1)フリッツ・クライスラー 1875年、ウィーン生まれ。7歳でウィーン音楽院に入り、9歳でデビュー。パリ音楽院でも研鑽を積む。99年にベルリンフィルとの共演で国際的なキャリアを踏み出した。その後、アメリカに移り、43年には市民権を得て活動する。演奏は優美な歌いまわし、甘い音色で知られた。作曲家として〈愛の喜び〉、〈愛の悲しみ〉などの小品を多数残したほか、18世紀の様々な作曲家の名前を用い、自作を発表。今ではヴァイオリン音楽のレパートリーとして定着している。62年、ニューヨークで没。

(*2)ハンス・プフィッツナー 1869年、モスクワ生まれのドイツの作曲家。フランクフルトの音楽院で学んだ後、ベルリンの音楽院や歌劇場を経て、シュトラスブルクの音楽院長・歌劇場監督を務める。ベルリンに戻り、続いてミュンヘンに移って創作を続け、1949年、ザルツブルクで没した。シューマンからブラームス、ヴァーグナーに連なるロマン派主義者とされる。代表作は、自身の台本に作曲した音楽伝説(音楽劇の一種。オペラと目されることも多い)《パレストリーナ》(1912‐15)。イタリアの後期ルネサンスの音楽家で「教会音楽の父」と呼ばれた作曲家パレストリーナを題材とした大規模作品。作家トーマス・マンも高く評価したことで知られる。

 

 

 

ライナー・キュッヒル ヴァイオリンリサイタル 

 2014年11月7日(金)午後2時開演

 入場料5,000円(指定席)、友の会4,500円

 学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)

 2014年度のティータイムコンサート7回をオトクな価格でお楽しみにいただけるセット券(一般19,000円 友の会16,000円)もございます。

 チケットのお問合せ・お申し込みは
 ザ・フェニックスホールチケットセンター
 TEL 06-6363-7999
 (土・日・祝日を除く平日の10時~17時)

<曲目>
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ  第26番 変ロ長調 K378
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 「クロイツェル」 作品47
プフィッツナー: ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品27
クライスラー:ジプシー奇想曲 ほか
 

 

 

 

■Rainer Küchl 関連年表 

1950年  オーストリアのワイドホーフェン・アン・デア・イプス市に生まれる

1964年  ウィ-ン国立音楽アカデミーに入学、フランツ・サモヒル教授に師事 

1967年  ソロ活動を開始。以来、ウィ-ン・フィルをはじめ、ウィ-ン響、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、NHK交響楽団などのオーケストラ、指揮者ではアバド、ベーム、バーンスタインらと共演を重ね、リサイタルや放送録音にも取り組んでいる

1971年  ウィ-ン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィ-ン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任

1972年  ホーフブルク・カペレのコンサートマスターに就任

1973年  ソロ活動に対し、オーストリア文部省からモーツァルト解釈賞を受賞。ウィ-ン・フィルの仲間とキュッヒル弦楽四重奏団(ウィ-ン・ムジ-クフェライン弦楽四重奏団)結成

1978年  弦楽四重奏団の活動に対し、オーストリア・モーツァルト協会から「フルーテンウア賞」を受賞

1982年  サモヒル教授の後継でウィ-ン国立音楽アカデミー(現ウィ-ン国立音楽大学)正教授就任

1985年  ザルツブルク州知事から金功労勲章受章。ウィ-ン・リング・アンサンブルを結成

1988年  学術、芸術功労に対し、オーストリア共和国からオーストリア名誉十字勲章受章。長野冬季オリンピック開会式で小澤征爾指揮オリンピックオーケストラのコンサートマスター

1992年  英バッキンガム宮殿における指揮者ゲオルク・ショルティ80歳の誕生パ-ティーで、チャールズ皇太子、ダイアナ妃の御前で演奏

1994年  オーストリア共和国に対する功績で、共和国から大名誉勲章を受章

1995年  ジュネーヴでの国連50周年記念式典でワールド・オーケストラ・フォー・ピースの世界代表コンサートマスター

2001年  ウィ-ン・フィル発足以来、現役コンサートマスターとして初のウィ-ン国立歌劇場名誉会員になる

2010年  日本政府から旭日中綬章を受章