ピアニスト 中野翔太さんインタビュー

掲載日:2003年5月1日

8月4日(土)夕、「新人紹介コンサートシリーズ」でピアノリサイタルを開く中野翔太さんは弱冠17歳ながら、既に演奏家としての独自の世界を持っており、指揮者の小澤征爾やムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団など世界的な演奏家・団体と共演を重ねる注目株である。お客様からのご要望も多く、急きょ同月10日(金)に追加公演を行うことも決まった。2年前に渡米し、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院のプレ・カレッジで研さんを積む中野さんに、各国の超一流芸術が集まる"世界の首都"で学ぶ毎日や、将来への思いなどを伺った。

――ニューヨークでの留学生活はいかが。
ジュリアード音楽院付属の「プレ・カレッジ」に通っています。生徒は9歳から18歳まで。韓国、台湾などアジア、ロシア、ドイツ、イスラエルなどからも集まっています。レッスンのほか室内楽、ソルフェージュ(音楽の総合的な基礎教育)、楽理などを習っています。師事しているのはヨヘヴェト・カプリンスキー先生。イスラエル出身でワシントンのバッハ国際コンクールで優勝、ジュリアード音楽院で教えるほか、クライバーンやルービンシュタインなどの国際ピアノコンクール審査員をしている方です。土・日以外は、プロフェッショナル・チルドレンズ・スクール(PCS)という芸術家志望の青少年を集めた学校にも通っています。クラスメートは音楽家、画家、ダンサー、俳優などのタマゴ。数学や社会など普通の学校と同じ勉強をしています。コンサートやオーディションなどでの欠席には理解がありますが、宿題がたくさん出ます。

――なぜニューヨークで学ぶことに?
日本での先生がワシントンの日本大使を紹介してくださり、大使公邸での演奏会に出させていただきました。聴きにいらしたワシントン・ナショナル響音楽監督のレナード・スラトキンがカプリンスキー先生に紹介してくださったのです。先生は体が大きく、少し怖い感じでしたが、雰囲気がとても温かく、即座に「習いたい!」と思いました。曲の構成を大切にする方で、ハーモニーやフレーズの取り方、音色、曲の性格なども細かく指導していただきます。レッスンは毎回1時間ほどですが、夢中になっている間におしまい。もっと時間があれば良いのに、といつも思います。室内楽の先生は(世界的ヴァイオリニストの)パールマン。仲間とトリオなどを組み、見ていただきます。アンサンブルはあまり経験がなかったのですが、ピアノと違い、弓で旋律を奏でるヴァイオリンやチェロなどとの合奏はとても面白し、勉強になります。パールマンは「フレーズの最後の音は大切に」「作曲家が記した強弱記号は厳密に守って」など楽譜に忠実な演奏を求めます。ソルフェージュにしても日本のように難しい聴音はやりませんが、和音の種類や和声進行などが体にしみ込む、より実践的な教育をすると思います。

――"世界の首都"の住み心地は?
自宅からカーネギーホールやメトロポリタン歌劇場へ歩いて10分で行けるんです。小澤さん指揮のサイトウ・キネン・オーケストラやボストン響、マゼール指揮のウィーンフィルなどの演奏も聴けましたし、ピアノだと内田光子さん、ポリーニ、ブレンデル、ツィメルマン…。皆素晴らしかった。こちらで初めてオペラを見ました。最初はモーツァルトの『フィガロの結婚』。舞台に引き込まれ、別世界にいるよう。『カルメン』役のオリガ・ボロディナは本当にすごかった。マンハッタンには200以上の美術館があるんですが第2次大戦時、ナチスドイツの強制収容所で26歳で亡くなったとされるユダヤ人の女性画家シャルロッテ・ソロモンの展覧会に行きました。メトロポリタン美術館でのフェルメール展も素晴らしかった。いま困っているのはおいしいお寿司屋さんがないことぐらい(笑)。

――留学して自分が変わったと思いますか。
母と一緒に暮らしてはいますが、少し大人になったかな…。毎日5、6時間は練習し、将来のことも考えたりするようになりました。レッスンで取り上げる選曲一つにしても、自分で物事を決めることが増えてきたと思います。

――尊敬するピアニストは。
ホロヴィッツ。音楽が生きていて本当に音が語っていると思います。いつもCDを聴いています。僕は僕。彼の真似はしたくはないですが作曲家が作品に込めたメッセージを自分なりに消化し、確信を持って表現できるピアニストになりたい。

――プレ・カレッジに通うのは来年6月まで。その後はジュリアード本校に進むのですか。
迷っています。アメリカには教師も生徒もパワフルな人が揃っている。でもクラシック音楽を生み育んだのは欧州。若い時期にモーツァルトやベートーベンが生きたドイツ語圏で暮らしてもみたい。コンクール? 今はあまり考えていません。音楽は競争するものではないと思うし、カプリンスキー先生も情熱を持ち続け、自分がどう進歩していくかが問題とおっしゃいます。

――今回のプログラムについて。
いろんな作品を楽しんでいただけるよう、考えました。バッハの「フランス組曲」は小学生のころ、日本のコンクールでも弾いたことがあるのですが、最近、自分で表現したいものがはっきりと分かってきたような気がします。フェニックスでは以前、弾いたことがあり、リサイタル向きの響きの良いホールだと思っています。充実した公演にしたいですね。

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なかの・しょうた 1984年生まれ。88年南青山音楽研究所入室。児童教育で名高いモスクワ中央音楽院のアレクサンドル・ムンドヤンツに毎年レッスンを受ける。ピアノを江戸弘子(桐朋学園大名誉教授)に師事。96年全日本学生音楽コンクール小学生の部で全国1位、併せて野村賞受賞。98年「故江戸英雄翁を偲ぶ会」で小澤征爾と共演。またワシントンの日本大使公邸でのコンサートに出演、この舞台を機にジュリアード音楽院のヨヘヴェット・カプリンスキーに師事。東京・紀尾井ホールなどでリサイタルを開くほか、M・ロストロポーヴィチや飯守泰次郎らと共演している。ニューヨーク在住。

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