今井信子さん(ホール音楽アドヴァイザー)について

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今井信子(いまい・のぶこ) ヴィオラ奏者

1943年東京生まれ。桐朋学園大学を経て米国のイェール大学、ジュリアード音楽院に学び67年ミュンヘン、68年ジュネーブの両国際コンクールで最高位入賞。以後、北イリノイ大学、英マンチェスター音楽院などの教員を務めながら演奏活動を広げ、89年秋、武満徹がフランス革命200年記念で委嘱されたヴィオラとオーケストラのための「ア・ストリング・アラウンド・オータム」をナガノ指揮パリ管弦楽団とパリで初演、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演で録音した同作品のCDがベストセラーとなった。87年の開館時からカザルス・ホールの音楽アドバイザー、90年からは同ホールのレジデント・クァルテット(カザルスホール・クァルテット)のメンバーとなった。同ホールでは91年からリサイタルをはじめ、翌年からは「ヴィオラという楽器の可能性を追求し、音楽性と素晴らしさを広めたい」との思いから「カザルス・ホール・ヴィオラ・スペース」と題したヴィオラのための音楽祭ヘと発展した。この事業ではヴィオラ奏者育成のためにマスタークラスも開催している。95年はヒンデミットの生誕100年を記念、東京、ロンドン、ニューヨークで開かれた国際ヴィオラ・フェスティバルの音楽監督を務めた。97年第1回淡路島しづかホール・ヴィオラ・コンクールの審査委員長。2003年ミケランジェロ弦楽四重奏団結成。2009年より開催されている東京国際ヴィオラコンクール審査委員長。アムステルダム音楽院、クロンベルク・アカデミー、上野学園大学などで教授を務める。「エイボン女性芸術賞」、「芸術選奨文部大臣賞」、「京都音楽賞」、「モービル音楽賞」、「毎日芸術賞」、「サントリー音楽賞」を受賞。また紫綬褒章、旭日小綬章を受章。欧米を拠点にソリスト、室内楽奏者、教育者として国際的に活躍しているヴィオラの第一人者。ザ・フェニックスホールでは1997年5月、主催公演にクラリネット・トリオで出演(共演・フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヌア=ピアノ、エルマー・シュミット=クラリネット)。また、自らが企画に携わるヴィオラ振興のための音楽事業「ヴィオラスペース」(主催・テレビマンユニオン)が2005年から毎春、ザ・フェニックスホールで開催されている。

独創性溢れ、人集う音楽堂に

今井信子

音楽会で弾き始めて50年。「今の自分があるのは?」と考えると、一番影響を受けたのは、米国に留学して3年目の夏、初参加したマルボロ音楽祭です。会場は、ヴァーモント州の片田舎にあるマルボロ・カレッジ。パブロ・カザルスを筆頭にブダペスト弦楽四重奏団のメンバー、ルドルフ ・ゼルキン、ミエチスラフ・ホルショフスキー、ポール・トルトゥリエ、グァルネリ弦楽四重奏団、クリーヴランド弦楽四重奏団ら、素晴らしい音楽家たちに出会いました。
そのマルボロを友人に見せようと、或る秋、訪ねました。紅葉が舞い、その美しさ、きらびやかさには感動したものの、会場に着くと音楽はなく、静まり返ったゴーストタウンのようでした。生徒たちの笑い声も聞こえず、ダイニングルームも閑散としていました。
あれほど落胆したことはありません。
私はその時初めて、マルボロ音楽祭の魔法にかかったような、夢のような雰囲気は、私たち音楽家やそこに集う人たちが作っていたことを悟りました。コンサートホールも人が集い、音楽が奏でられてこそ初めて、生命が吹き込まれるのです。

ホールのカラーは自主公演の人選とプログラムから。私もプロデュース公演の内容には気を遣います。
ザ・フェニックスホールは、ここでしか聴けない企画に満ちた、独創性溢れる音楽堂です。私のプロデュース公演でも時に型破りで、斬新な企画も躊躇せずに受け入れて下さり、有難く思っています。これからも、多くのお客様に来て頂けることを願っています。