Prime Interview 須川展也さん

レパートリー開拓へ新作委嘱重ね30年余
世界的サクソフォン奏者 須川展也さん

掲載日:2016年9月30日

日本サクソフォン界の「顔」として圧倒的な知名度を誇る名手、須川展也さん。ソロ、室内楽、オーケストラや吹奏楽団での傑出した演奏を国内外で重ねる一方、指揮者や教育者としても活動。またドラマやコマーシャルの音楽演奏などテレビでの活躍も通じ、多くの人々に親しまれている。須川さんにとってサクソフォンは「人間そのもの」を表現し、掛け替えのない感動と感激を聴衆との間に共有するための「器」。そんな楽器の魅力の向上とレパートリー拡大を目指し、学生時代から身銭を切って世界の優れた作曲家に新作委嘱を続けてもきた。11月のフェニックス公演はそんな「草分け」の、真摯な歩みを示す直球勝負のリサイタル。インタビューに応える言葉一つひとつに、サクソフォンとその音楽に込める深い愛情が感じられた。
(取材・構成/谷本 裕=沖縄県立芸術大学教授)

 

「人間そのもの」伝えたい

 

 

最初に習った楽器はフルートだったそうですね。どうしてサクソフォンの道に?

 

-浜松の中学に入って間もない頃、音楽の授業でフランスの作曲家ビゼーの組曲『アルルの女』をレコードで聴かせてもらったんです。スピーカーから流れきたサクソフォンの音色が、全ての始まりでした。

 

 

あの組曲は、フルートの名曲「メヌエット」が有名なのでは。

 

-それよりも私は「前奏曲」に出てくるサクソフォンにすっかり魅了されてしまったんです。天から降ってくるような、美しい透明な音。衝撃でした。組曲の中の「間奏曲」も聴いてさらに感激は広がり、「メヌエット」やほかの曲でも、サクソフォンの奏でる対旋律(*1)がスゴいと思いました。出会いを機にサクソフォンを専門に学び始め、今に至っています。

 

 

サクソフォンは今、吹奏楽を志す少年少女に最も人気の高い楽器の一つ。社会人にも嗜(たしな)む人が増え、リサイタルも少なくない。管楽器の「花形」として既に定着していように思われますが、須川さんが活動を始められた頃、この楽器の「認知度」は、どのような状況でしたか。

 

-東京藝大を卒業した1980年代半ばは、「ジャズなら分かるんだけど、サクソフォンってクラシックにも在るの?」いう認識が一般的。クラシックの分野での認知度はまだまだ低く、ソロ楽器としての地位も確立されていませんでした。もちろん演奏家として活動をしていくのは今でも、どの楽器でも、本当に大変です。スポーツ選手と似ています。コンクールで優勝するなど、学生時代に実績は積んでいたけれど、大学卒業当時は、仕事らしきものも無い状態。どうやって食べていけば良いのか不安でした。それでもとにかく、どうしてもサクソフォンの演奏家として生活したい、と強く思っていました。

 

 

そんな思いを持ち得たのは、なぜ?

 

-サクソフォンの魅力を多くの人に伝えたい、子どもの頃、打たれるような感動を覚えたあの美しい音を伝えたい。単純に、そう思ってました。この楽器が表すのは、美しさや楽しさに留まらない。激しさ、怖さ、そして儚(はかな)さなど幅広い「人間そのもの」の心の動きを表現できるはず。その魅力を、多くの聴衆と共有したいと心底、願っていたんです。

 

 

楽器としての「地位向上」を目指そうとしたんでしょうか…。

 

-「地位向上」だなんて、何だか偉そうで、そんな感じじゃないんです。今思えば、「何でも演奏しますから、コンサートをさせて下さい。お願いします!」という、どちらかといえば謙虚な思いで活動を始めたんです。それも昼間、真面目に訴えるだけでなく、夜、それこそ公演打ち上げの席でも、「ソロをたくさんやりたいんです」と繰り返し訴えました。今でもこのスタンスは変えてません。あれから30年余。サクソフォンのコンサートは以前に比べ、確かに増えました。でも、まだ普遍的な位置付けには至っていない。愛好家だけでなく、一般の方にも楽しんでいただけるコンサート作りを、もっとしていきたい。今でも模索を続けているのです。

 

 

公演内容を決める際、留意されていることは何ですか。

 

-選曲には、いつも悩みます。地域や会場の特性も踏まえ、聴き手に楽しんでいただけるような選曲を、自分なりに考える。自分の姿勢を、主催者の方々にしっかりと示して賛同を得、一緒に頑張ってくださるよう、意思疎通を重ねることも欠かせません。同時に、自分にとって「挑戦」となるような、高い音楽性や演奏技術を要する作品を探し続けること。新しいレパートリーを常に披露できるよう、内外の作曲家に新作を委嘱して初演すること。そんなことをいつも意識して続けてきました。

 

 

新作委嘱は、藝大在学中の1980年、作曲科におられた先輩の伊藤康英氏に依頼された「シャコンヌ」が最初でした。

 

-先輩からは、「サクソフォンにはまだ良いレパートリーが少ない。演奏家が開拓していかなければ」とアドバイスをもらっていました。自分の力で蓄積していこう。そんな思いで心を燃やし、今日に至っています。

 

 

以後、長生淳、本多俊之、西村朗、エドワード・グレグソン、マーティン・エレビーといった実に多様な作曲家と仕事を重ねてこられました。中でも特筆すべき作曲家を上げていただくとしたら?

 

-吉松隆さん(*2)の曲との出会いは、世界の奏者に日本を知らしめる、素晴らしい機会となりました。特に、最初に吉松さんに委嘱して作曲いただいた「ファジイバード・ソナタ」(1991年)は海外でも出版され、国際的な人気があります。私はこれまで、何度も海外でマスタークラスをしてきました。レッスンの題材にこの曲を持ってくる若手がとても多く、ある時期は「ミスター・ファジイバード」と呼ばれたこともありました。その後、やはり吉松さんに委嘱して1994年に書いて頂いた「サイバーバード協奏曲」(オーケストラとサクソフォン版)も、今や国際的な人気曲になっています。昨年、吉松さんご本人の手により、この曲のピアノ・リダクション版が書かれました。今回のザ・フェニックスホール公演では、この曲も演奏予定です。

 

 

米国のマルチミュージシャン、チック・コリアの「Florida to Tokyo」も今回、取り上げられます。

 

-この作品は今年出来たばかり。チック・コリアさんは言わずと知れたジャズ界の巨匠ですが、そんなチック・コリアさんに新しい曲を書いて頂けて本当に幸せです。サクソフォン界にまた新たな歴史を作る、すごい曲が誕生しました。10月に東京で初演を迎え、ザ・フェニックスホールでの演奏も大阪初演。さまざまなジャンルの音楽領域を自在に往還するチック・コリアさんならではの、音の世界を表現したい。

 

 

もう一曲、才気溢れるピアニストとしても知られるトルコの音楽家ファジル・サイの新曲も演奏されます。

 

-演奏家、作曲家としてのファジル・サイさんの素晴らしい感性が、この曲にそのまま出ていると思います。彼の作品から私はいつも、人間の心の、奥深い所に潜んでいる真実を抉(えぐ)り出すような、深い精神性を感じます。東洋的な瞑想、民族的な踊り。エキゾティックな要素満載の素敵な曲想。魂に訴える素晴らしいフレーズに、必ず出会えます。ぜひ聴いてください。

 


 

 

(*1) 対旋律 楽曲の中で、主旋律に対置される別の独立した旋律。主旋律を際立たせる機能を持ったり、それと対等の働きを果たしたりして、音楽総体を充実させる。

 

(*2) よしまつ・たかし 1953年、東京生まれの作曲家。慶應義塾大学工学部中退。ほぼ独学で作曲を学ぶ。81年、ピアノと弦楽合奏のための書かれた「朱鷺によせる哀歌」でデビュー。以後、交響曲、協奏曲、ピアノ曲、ギター曲、「鳥」をテーマとする室内楽作品などを数多く創作。調性や、豊かなメロディを湛えた作風で知られる。執筆活動やラジオ番組の解説など広範な活動で親しまれている。