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2月20日、ティータイムコンサート 「笠川 恵 ヴィオラリサイタル」に寄せて

掲載日:2015年2月4日

「未知」の楽器、ドイツ音楽を通して探る

 ドイツと言えば、今も昔もクラシック音楽の発祥の地としてその存在は変わりません。バロック時代にはバッハが、ロマン派にはシューマンが、近現代ではヒンデミットが、そして現代音楽ではツィンマーマンが、ドイツという国で多くの音楽を作りだしました。そして、現在も多くの作曲家が音楽家と共に、この国で音楽を作り出しています。

 ヴィオラが誕生したのは、ヴァイオリンが出来たのと同じころ16世紀前半の北イタリアだと言われています。ルネッサンス、バロック時代には、膝に挟んで演奏するヴィオラ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)と、顎にはさんで腕で支えながら演奏するヴィオラ(ヴィオラ・ダ・ブラッチョ)の2種類が有りました。もちろん、現在のヴィオラの原型だと言われているのは、後者のヴィオラです。また、英語とイタリア語ではヴィオラ(Viola)と呼ばれますが、ドイツ語ではブラーチェ(Bratsche)と呼ばれ、原型のヴィオラ・ダ・ブラッチョからその名が受け継がれています。ブラッチェとは、腕という意味。その名の通り、腕で支えて弾くヴィオラという事です。

 そのヴィオラは、18世紀の中頃まではオーケストラの中でしか、殆ど使用されていませんでしたが、弦楽四重奏の発達に伴い、室内楽にも欠かせない楽器となっていきます。そして、独奏楽器として認められる様になってきたのは、19世紀以降だと言われています。そのヴィオラの歴史に多大な影響を与えたのが、素晴らしい演奏家達。ライオネル・ターティス(1876-1975)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ウィリアム・プリムローズ(1904-1982)、また現代では日本を代表するヴィオリスト今井信子などです。彼らの存在がヴィオラという楽器を、陰の存在から独奏楽器という、重要な位置へ押し上げてくれました。彼らがいなかったら、今のヴィオラの位置づけは、全く違うものなっていました。

 演奏家と作曲家は、どちらもお互いを必要とします。いくら素晴らしい作曲家がいても、それを作品として世に送り出してくれる演奏家がいなければ、誰もその良さを分かってくれません。逆に、極端な話ですが良い演奏家がいても良い曲がこの世に存在していなければ、その力は宝の持ち腐れとなってしまいます。だからこそ、演奏家はその時代時代で、作曲家に曲を作ってもらい演奏し、それがその後今に至るまで、受け継がれていく事になります。

 2月20日のコンサートでは、4曲取り上げます。その4曲のうち、2曲はヴィオラのオリジナル曲、その他は、他の楽器に作曲された作品です。先程も述べましたが、ヴィオラが独奏楽器として認められ始めたのは19世紀以降。バッハのチェロ組曲4番(チェロ)と、シューマンのアダージョとアレグロ(ホルンとピアノ)は、どちらもヴィオラのオリジナル曲ではありません。しかし、20世紀以降に作曲されたヒンデミットのソナタ作品25-4と、ツィンマーマンのソナタはヴィオラの為に書かれた作品です。この事からも 、19世紀、20世紀以降になると、素晴らしいヴィオラ奏者が増えてきた事が見てとれます。

 私は、4年前にドイツに移り住みました。その大きな理由は、アンサンブルモデルンという、現代音楽を中心に活動を続ける団体での演奏活動が決まったからですが、私はそのおかげで、多くの現役の作曲家との接点が増えました。そして、貴重な経験を沢山させてもらっています。「ああ、バッハが生きていて、電話でもメールでもして、疑問に思っている事をきけたらいいなぁ」と思う事が多々有り、(もちろんそんな事無理なのですが)そうすると歴史を勉強して、多分こうだろうなと想像して弾くしかありません。しかし、現代は作曲家とコミュニケーションをとる事によって、曲の様々な事が、一瞬にして明確になります。  私もこれまでに初演の機会がありましたが、本物は、本人に聞くのが一番。作曲家とのコミュニケーションを、大切にする様になりました。昔の名演奏家がそうして来た様に、こうやってヴィオラの歴史に足跡が残っていくのだと思います。

 今回のコンサートでは、その当時の作曲家達の人生、音楽に対する思考、時代背景などを中心としたお話を交えながら、楽しい時間を過ごせる様にと考えています。ピアニストとして、クラシックまた現代音楽の分野でも幅広い経験をお持ちの大宅さおりさんをお迎えして、未知の楽器ヴィオラをドイツ音楽、芸術を通して探っていければと思っています。「え?現代音楽?」と思う方でも、気軽に足を運んで頂けたら幸いです。お会い出来る事を楽しみにしています。