Prime Interview パトリツィア・コパチンスカヤさん

無慈悲な天使」と「心優しい悪魔」が同居 ヴァイオリニスト パトリツィア・コパチンスカヤさん

掲載日:2014年5月15日

 

このヴァイオリニストは、一味も二味も違う。パトリツィア・コパチンスカヤ。黒海の西北に位置する東欧の田園国家、モルドヴァの出身。「村の楽師」の両親のもとでヴァイオリンを始め、長じてウィーンやスイスのベルンのアカデミーで研さんした変り種だ。彼女の演奏はしばしばテンポが変わる。通常は繊細優雅に奏でられることが多いパッセージも、時には鋭い攻撃力をはらんだ閃光に変容する。舞台はいつも即興的で霊感的。スリルに満ちたゲームのようだ。楽曲の基になったフォークロアや民族音楽に、幼い頃から携わっていた経験はもちろん大きい。一方で、作曲家としてのキャリアも積み、音符一つひとつの背景を読み解く知的なセンス、そして演奏家が果たすべき役割についての、情熱的な意志をも備えている。文字通り、「知情意」が均衡する、実に魅力的なアーティスト。打ち返されてきたメールには、日本の禅芸術に関するユニークな洞察まで含まれていた。(あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

「瞬間の感性」に身委ねる

 

あなたの弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を2008年冬、大阪で聴いたことがあります。民俗音楽(フォークロア)の奔放さを強く思い起こさせるものでした。チャイコフスキーを演奏する時はいつも、民俗的な要素を強調しますか。他の作品を演奏する際も、そうなのでしょうか。

―あの曲は第3楽章に、ロシアの伝統的なダンス「トレパーク」(*1)が出てきます。演奏家は心の中で「村の市場」の音を聴き、それを見、薫りを感じていなければなりません。情熱的で陽気、大地に根ざしたように骨太に演奏すべきです。民俗音楽の影響を受けているのは、あの作品に限ったことではありません。あらゆるクラシック音楽に見られます。例えば、ハイドンやベートーヴェン、ブラームス、リストやバルトークがそうです。ドビュッシーやリゲティは東洋音楽の要素を用いてさえいます。民俗音楽のミュージシャンの多くは楽譜が読めず、暗譜で演奏しますから、演奏がとっても自由。クラシック音楽に民俗音楽の要素が出てくる場面では、彼らのように演奏すべきです。

 

確かに聞き慣れた演奏とは違っていました。テンポやリズムが頻繁に変わり、音色の変化も豊か。生き生きとしていました。あなたにとって演奏(Playing)はどんな営みですか。

―「遊びPlaying」ですね(*2)。本当にそう考えているんです。子どもが、石とか木切れなんかで、いつもやってること。並び替えて組み合わせたり、心を通わせ、お人形さん遊びにしたり…。他の人の演奏を聴いて、残念に思うことがあります。それは、子どもには自然に備わっている、あの遊び感覚が失われてしまっている時。私たちは、例えばチャイコフスキーやブラームスのヴァイオリン協奏曲をガッシリと揺るぎない、「記念碑的な建造物」とは思い込まない方が良い。むしろ、演奏の度にフレキシブルに新しく、創られ直されたように奏でるべきです。そのためには作品を構成する音楽素材と、文字通り「遊び回る」ことができなければなりません。

あなたはつまり、ヴァイオリンを演奏する際に、感性や直感を重視するタイプなのですか。

―私は演奏家であり、同時に作曲家でもある。このことが、とても重要です。作曲家は、「憧れ」とか「思想」とか「想像力」などを起点に活動します。自分の中のイマジネーションを、楽譜として書き留めるわけです。でも、いま使われている楽譜の書法は、もう千年も前にイタリアで発明された不完全なもの。微かな彩、ニュアンスや抑揚、音の出し方といった込み入った要素は、盛り込み切れない。演奏家が楽譜を、書かれている通りに演奏しなくてはならないのはもちろんです。でも、それだけでは決して十分ではない。作曲家が最初、抱いていた空想やイマジネーションを見つけ出し、蘇らせる。再創造しなくてはならないからです。そのためには音符一つひとつの意味を解き明かし、理解しなければなりません。例えば同じ作曲家の別の作品を調べる。手紙や評伝、同時代の批評を読む。彼の先生の音楽も当たってみる。また、「歴史的録音」とされている演奏を聴いてみる。こんなあらゆるリサーチが要ります。一方で舞台では、こうした事柄から自分を解き放って、「瞬間の感性」に身を委ねることも大切です。

自由奔放な演奏に触れた者としては、仰ることは納得できますが、クラシック音楽の演奏家は、そうではない方も少なくないです。

―「禅の芸術」を引いて説明してみましょうか。禅芸術には、音楽の解釈や演奏にも有用な、重要な示唆が含まれています。例えば、禅僧が描く素朴な円相(*3)。見る人によっては、退屈な円環にしかみえないかもしれない。でも、よく見れば、それ以上のものが表れてくる。彼らは表現を、故意に「不完全」な状態に留めています。フキンセイ(不均整)でカンソ(簡素)、シゼン(自然)でユウゲン(幽玄)。そしてダツゾク(脱俗)的。「侘び寂び」に連なる、こうした、禅の様々な芸術原理を、私たち演奏家も学ぶべきです。音楽家が、一つの音符を奏でる際は、単にのっぺりした響きを超える何かでなければなりません。音楽作品全体についても、きっとそうでしょう。芸術は、たった一人の人間の意思だけで形づくれるものではない。むしろそれは、芸術そのものから湧きあがってくるものです。芸術家は単に、機械のような「完璧」な表現を目指すのではなくて、芸術が自ずと生成してくるよう努めることが大切な役割です。とても個人的なものでありながら、同時に宇宙全体を示す。そんな表現がもたらされた時こそ、音楽は本当の姿を現すのではないでしょうか。

 

今回のプログラムについて(下記参照)。

―カール・フィリップ・エマヌエル・バッハもシェーンベルクも晩年、幻想曲を作曲しました。前者は父ヨハン・セバスチャンと自分の同時代の音楽から材料を幾つか使っています。それも完全に自由な、驚くようなやり方で再構成しているので。まるでピカソの絵のような印象です。鼻はこっち、一つの耳はあっち、もう一つの耳は別の所に。エマヌエル・バッハは、先にピアノのパートを作曲し、後からヴァイオリンパートを足しました。この音楽はどことなく、20世紀における伝統的な音楽様式の崩壊を早々と預言しているように感じられます。一方、シェーンベルクが1949年に作曲した幻想曲では、その「崩壊」は明白。彼は、エマヌエル・バッハとは逆にヴァイオリンパートを最初に作り、のちピアノパートを添えました。シェーンベルクの曲も、ピカソを強く思い起こさせます。シマノフスキは「神話」を、時代的にはちょうど2人の中間点ごろ、1915年に書きました。斬新な響きや色彩感を表そうと試みています。

この公演のメーンはプロコフィエフの第1ソナタですね。

―1938年から46年にかけ書かれました。世界が戦争におびえた時代の、陰鬱な作品。冒頭のヴァイオリンの音が、実に恐ろしい。私はこれを弾く度、ソヴィエトの秘密警察が夜、市民を強制収容所(*4)に連行するため、夜半、民家のドアを叩くさまを連想してしまいます。他の箇所では、作曲者自身が演奏法の指示を残してもいます。第1楽章と、最終楽章の終結部に現れる、微かなヴァイオリンの音階進行。これは「墓場を吹き抜ける風のように」といった具合です。また、最終楽章の或る一節についてプロコフィエフは、初演のリハーサルでピアニストに、こう求めました。「聴衆が座席から飛び上がるような、大きな音で」。ヴァイオリンをかき消してしまうほどの、「気が狂ったか」と思わせる強烈な強さです。

そのパートを受け持つピアニスト、コンスタンチン・リフシッツについて。
―コースチャと初めて共演したのは、もう10年以上も前。彼は、水晶を思わせる明晰さで演奏する、最上級の名手です 。音楽に向き合う時は「究極」ともいえるほどの没頭をしてみせ、それでいて楽譜にとても忠実。そんな演奏が私は大好きです。

取材協力:KAJIMOTO

 

*1 trepak 速い4分の2拍子で踊る、コサックの踊り。
*2 play 英語単語としては「演奏する」という意味と同時に、「遊ぶ」という意味がある。ドイツ語やフランス語、イタリア語にも同様の言葉がある。
*3 円相 禅宗の書画の一つ。丸い円環を、一筆書きで書く。悟りや真理の境地、さらには宇宙全体を表すと言われている。
*4 強制収容所 ソヴィエトでは1920年代のスターリン政権以降、反体制運動家らを収容するために多数の収容所が建設された。収容された人々は過酷な強制労働に従事させられた。国家としてのインフラ整備のための労働力としても利用されたとの指摘がある。ノーベル賞作家ソルジェニーツィンの『収容所群島』に詳しい。

 

パトリツィア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja)
1977年、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国生まれ。同国は黒海の北西、ウクライナとルーマニアに挟まれた田園国家。ソ連崩壊で現在はモルドヴァ共和国。両親共に音楽家の家庭で育ち、のち作曲とヴァイオリンをウィーンとベルンで学ぶ。2000年メキシコのシェリング国際コンクールに優勝、02年「クレディ・スイス・グループ・ヤング・アーティスト賞」、04年ヨーロッパ放送連盟「New Talent – SPP Award」、06年ドイツ放送局の「フェルダー賞」を受賞。ソリストとしてウィーンフィル、ウィーン響、ベルリン・ドイツ響、シュトゥットガルト放送響、フィルハーモニア管、パリ・シャンゼリゼ管、N響ほかの楽団と、また指揮者ではヴラディミール・フェドセーエフ、フィリップ・ヘレヴェッヘ、マリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィ、ロジャー・ノリントン、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキらと共演している。ニューヨークのカーネギーやリンカーン・センター、ロンドンのウィグモアやロイヤル・フェスティヴァル、ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン楽友協会、ザルツブルク・モーツァルテウム、アムステルダム・コンセルトヘボウなど世界の著名ホールに登場。またルツェルン、グシュタード・メニューイン、ザルツブルク、ロッケンハウス、あるいはウィーン芸術週間といった主要な音楽祭に招かれている。現代作品の演奏に積極的で、彼女自身、作曲も手掛けている。ファジル・サイ、オットー・ツィーカンら多くの作曲家が彼女にヴァイオリン協奏曲を作曲し、彼女が初演。ソロで、またバリー・ガイ、シャルロット・ハグらとの共演で、即興演奏も手掛けている。CDではオットー・ツィーカン、ゲラルド・レシュとゲルト・キュールらによる現代作品を録音。ファジル・サイとのデュオ・リサイタルCD「スーパー・デュオ!」、08年2月にルツェルンで初演・ライブ録音された「ファジル・サイ:ハーレムの千一夜」、09年に「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲」(ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管)がエイベックス・クラシックスからリリース。使用楽器は1834年製プレッセンダ。スイスのNGO団体「Terre des Hommes」の親善大使として故国の子どもを支援している。

■パトリツィア・コパチンスカヤオフィシャルサイトはこちら(全て英文表記)

 

伊東信宏プロデュース パトリツィア・コパチンスカヤ ヴァイオリンリサイタル
 2014年6月11日(水)午後7時開演 開演前の午後6時45分~ 伊東信宏氏によるプレトーク
 入場料5,000円(指定席)、友の会
4,500円
学生1,500円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)

※チケットは完売致しました。

 

 チケットのお問合せ・お申し込みは
  ザ・フェニックスホールチケットセンター
 TEL 06-6363-7999
 (土・日・祝日を除く平日の10時~17時)
   

 

[プログラム]
 C・P・E・バッハ:幻想曲 嬰ヘ短調 Wq80
 シマノフスキ:神話—3つの詩 作品30
 シェーンベルク:幻想曲 作品47
 プロコフィエフ:
 ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品80